バイブル・エッセイ(396)『見ないで信じる』


『見ないで信じる』
 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」(ヨハネ20:24-29)
 「見ないのに信じる人は、幸いである」と、イエスは言います。見えなくてもキリストを信じられる人、目に見えない神様の愛を信じられる人は幸せだということです。ですが、どうしたら目に見えないキリスト、目に見えない神様の愛を信じられるのでしょう?
 目に見えないものを信じる一つのきっかけは、驚きだと思います。キリストを信じていない人たちは、キリストを信じている人たちを見て驚きます。「この人はどんなに困難なときにもくじけず、穏やかに落ち着いている」とか、「この人は、驚くほどあっけなく人をゆるしてしまう」、「この人の口から、悪口を聞いたことが一度もない」、あるいは「どんなに苦しいときでも、この人のそばにいるとなぜか安心する」、そのような驚きの体験から、信じていない人たちはしだいに疑問を抱くようになります。「こんな人を、他で見たことがない、なんだろうこれは?」と思うようになるのです。見えないけれども、そこに何かがあるのをはっきりと感じるようになるのです。
 こうしてキリスト教に興味を持った人たちは、教会に行って神の御言葉に耳を傾けるようになります。そして、再び不思議な体験をするのです。人々が読み上げる聖書の言葉、聖歌や答唱詩編の言葉、司祭の説教などを通して、そのとき自分が抱えている問題にちょうどぴったりの答えが与えられるのを体験するのです。「こんな自分ではだめだと思っていたが、ありのままの自分でいいんだ。こんな私でも、神様は愛してくださるんだ」、「あきらめかけていたけれど、どんな失敗もゆるされるんだ。やり直すことができるんだ」。そう思って、肩の荷がすっと取り去られ、力が湧いてくるように感じる人もいます。それぞれが、苦しみを取り除き、人生に意味を与える命の言葉との出会いを体験するのです。そのような体験をした人は、やがて御言葉の中に人間の力をはるかに越えた何かが宿っていること、御言葉の中にキリストが生きていることを信じるようになっていきます。目に見えないキリストを、信じるようになっていくのです。
 感謝の典礼が始まるとき、初めて教会を訪れた人たちはもっと不思議な体験をすることになります。信徒や侍者、司祭が、まるでこの世界で一番大切なものを見るかのようにうやうやしく御聖体を見上げ、御聖体に奉仕しているのを見るのです。司祭の手から御聖体を頂いた人たちの顔には、安らぎと喜びが満ち溢れています。中には涙を流している人もいるくらいです。そのような様子を見て、初めて教会に来た人は、確かにここに目に見えない何かがあると感じるようになります。目には見えなくても、私たちを救ってくれる何かがそこにあると感じるのです。そのような体験をした人は、やがて御聖体の中に人間の力をはるかに越えた何かが宿っていること、御聖体の中にキリストが生きていることを信じるようになっていきます。目に見えないキリストを、信じるようになっていくのです。
 ミサの前後も大切です。初めて教会を訪れた人たちは、信徒たちから優しく迎え入れられたなら、「なぜ、見ず知らずのわたしにこんなにも喜んで迎えてくれるのだろう」と思うような体験をしたなら、キリストにますます興味を持ち、また教会に来てみようと思うに違いありません。
 つまり、わたしたちの声やしぐさ、行いが、目に見えないイエス・キリストをはっきりと指し示す道しるべ、目に見えない神様の愛の目に見える証拠になりうるということです。わたしたちのあいだに神の愛が生きていることを感じた人は、目に見えないキリストを、神様の愛を、見なくても信じることができるようになるのです。まずわたしたち一人ひとりが目に見えないキリストの存在、キリストの愛をはっきりと感じ取れるように祈りたいと思います。神様の愛に満たされて、わたしたちのしぐさや言葉、生活のすべてが目に見えないキリストの存在の証に変えられてゆきますように。
※写真…神戸、相楽園のツツジと庭園。