バイブル・エッセイ(1102)命の輝き

命の輝き

 イエスは、御自分が必ずエルサレムに行って、長老、祭司長、律法学者たちから多くの苦しみを受けて殺され、三日目に復活することになっている、と弟子たちに打ち明け始められた。すると、ペトロはイエスをわきへお連れして、いさめ始めた。「主よ、とんでもないことです。そんなことがあってはなりません。」イエスは振り向いてペトロに言われた。「サタン、引き下がれ。あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」それから、弟子たちに言われた。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。人の子は、父の栄光に輝いて天使たちと共に来るが、そのとき、それぞれの行いに応じて報いるのである。」(マタイ16:21-27)

 十字架にかけられて死ぬなんて、「とんでもないことです」というペトロに、イエスは「自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」といいました。命惜しさに、神から与えられた使命を放り出せば、かえって命を失う。神から与えられた使命のために自分の命を差し出すときにこそ、わたしたちは本当の意味で生きることになる。イエスはそういいたかったのでしょう。使命という十字架を喜んで担うときにこそ、わたしたちの命は本来の輝きを放つのです。
 この夏、熊本YMCAで開催された、水害や地震を体験した子どもたちの心のケアのためのキャンプ、「あそぼうキャンプ」でも、そのことを改めて実感しました。子どもたちのケアにあたるリーダーたちは、全国各地から、ボランティアとしてやって来ます。子どもたちが大好きで、どれだけ労力を費やしても、傷ついた子どもたちのために何かせずにはいられないという人たちばかりです。
 キャンプのあいだじゅう、リーダーたちはみんなきらきら輝いていました。自分のことなど少しも考えず、ただひたすら子どもたちのことを考え、自分のすべてを子どもたちのために差し出しているリーダーたちの命は、きらきらとまばゆい輝きを放っていたのです。そんなリーダーたちに囲まれた子どもたちも、きらきら輝く満面の笑みをうかべていました。喜びに満ちあふれた、本当に楽しい3日間でした。
 子どもたちのために何かせずにはいられない、自分にできるすべてのことをしてあげたいと願うリーダーたちは、まさに自分の使命のために自分を差し出していたといってよいでしょう。愛に突き動かされ、愛の命じるまま、自分にできるすべてのことをする。それこそが、使命を果たすということだからです。愛のために自分を差し出すとき、わたしたちの中に眠っているすべてのよいものが目を覚まします。自分に与えられた力を、フルに発揮することができるといってもよいでしょう。そのとき、わたしたちの命は輝きを放ちます。わたしたちの命は、愛に捧げられたときにこそ、その本来の輝きを放つのです。「わたしのために命を失う者は、それを得る」とイエスがいうのは、そういう意味なのです。
 逆に、「自分の命を救いたいと思う者は、それを失う」というのは、キャンプの場面でいえば、自分が人からどう思われるかとか、どうしたら疲れないですむかとか、自分のことばかりを考えて、子どものことを考えないなら、その人は輝きを失うということでしょう。自分を忘れて子どもたちのために自分のすべてを差し出す人だけが、自分の命を完全に燃焼させることができるのです。
 これはもちろん、キャンプだけでなく、人生のすべての場面にいえることです。愛の命じるままに喜んで自分を差し出すときにこそ、わたしたちは自分に与えられた力をフルに発揮し、自分の命を最大限に生かすことができる。命を輝かせることができるのです。そのことを心に深く刻み、日々、実践してゆくことができるよう祈りましょう。

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