バイブル・エッセイ(1108)天国のごちそう

天国のごちそう

 そのとき、イエスは祭司長や民の長老たちにたとえを用いて語られた。「天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。王は家来たちを送り、婚宴に招いておいた人々を呼ばせたが、来ようとしなかった。そこでまた、次のように言って、別の家来たちを使いに出した。『招いておいた人々にこう言いなさい。「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています。さあ、婚宴においでください。」』しかし、人々はそれを無視し、一人は畑に、一人は商売に出かけ、また、他の人々は王の家来たちを捕まえて乱暴し、殺してしまった。そこで、王は怒り、軍隊を送って、この人殺しどもを滅ぼし、その町を焼き払った。そして、家来たちに言った。『婚宴の用意はできているが、招いておいた人々は、ふさわしくなかった。だから、町の大通りに出て、見かけた者はだれでも婚宴に連れて来なさい。』そこで、家来たちは通りに出て行き、見かけた人は善人も悪人も皆集めて来たので、婚宴は客でいっぱいになった。(マタイ22:1-10)

 王が「食事の用意が整いました。牛や肥えた家畜を屠って、すっかり用意ができています」といって婚宴に招いたのに、人々はさまざまな理由をつけて拒んだという話が、「天の国」のたとえとして語られました。「天の国」を告げるイエスの言葉を拒む祭司長や長老たちは、ちょうどその、婚宴への招きを拒んだ人々のようだということでしょう。
 たとえ話に登場する人たちは、なぜ王の招きを断り、畑や、商売に出かけて行ったのでしょう。それはきっと、王が準備している食事のおいしさを知らなかったからではないかとわたしは想像します。「食事といっても、どうせたいしたことはないだろう。それよりも自分の畑や商売の方が大切だ」、そう思ったからこそ、彼らは招きを断ったのです。そこに準備されている食事が、これまでの人生で味わったことがないほどおいしいもの。王のもとでしか食べられない、人々の想像をはるかに越えるほどの美味だとわかっていれば、きっと、彼らは畑仕事や商売を休んで婚宴に出かけたことでしょう。
 わたしたちが、「天の国」の招きを断ってしまう理由も、似たようなことではないかと思います。たとえば、誰かと喧嘩になり、「あんな人とはもう口もきかない」といっているわたしたちを、神さまは、「まあまあ、あの人をゆるし、和解して天の国に入りなさい」といって招きます。しかし、わたしたちは、なかなかその招きに応じようとしません。「わたしの方が正しいのに、なぜこちらから歩み寄らなければならないのですか」などといって、「天の国」への招きを断ってしまうのです。勇気を出してその人と和解し、その人と元通り仲よく暮らしていくことがどんなに楽しいかわかっていれば、きっとその判断は変わるでしょう。つまらない意地を張っても仕方がない、仲直りして、「天の国」の喜びを一緒に味わおうと思えるはずなのです。あるいは、たとえば、神さまはいまの仕事にしがみついているわたしたちを、「いまの仕事は次の人に譲り、あなたはこちらの仕事をしなさい」といって「天の国」に招きます。しかし、わたしたちは、なかなかその招きに応じようとしません。神さまがわたしたちのために次に準備してくださっている仕事が、どんなに素晴らしいものか分かっていないからです。もし分かっていれば、いまの仕事にしがみつくことなどせず、喜んでその仕事につくことでしょう。
 神さまがわたしたちのために準備してくださっているごちそうは、どんなときにも、わたしたちの想像をはるかに越えるほどおいしいものです。思い切って相手をゆるせば、自分がいましがみついているものから手を離せば、そのことがよく分かるでしょう。神さまを信じて、神さまの招きにこたえることができるよう、心を合わせてお祈りしましょう。

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