バイブル・エッセイ(1110)心を尽くして

心を尽くして

そのとき、ファリサイ派の人々は、イエスがサドカイ派の人々を言い込められたと聞いて、一緒に集まった。そのうちの一人、律法の専門家が、イエスを試そうとして尋ねた。「先生、律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか。」イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」(マタイ22:34-40)

「律法の中で、どの掟が最も重要でしょうか」という律法学者の問いに対して、イエスは、「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」という律法を第一に上げます。第二の「隣人を自分のように愛しなさい」も同じくらい大切とはいうものの、まず何より神を愛すること。それも「心を尽くし、精神を尽し、思いを尽して」愛することが大切だというのです。
 神さまを愛するとは、いったいどういうことでしょう。人間であれば、誰かを愛するというのは、その人が側にいて自分を支えてくれることに心から感謝する。その人のために、自分ができる限りのことをするといったことでしょう。しかし、神さまは目に見ることができません。どうしたらよいのでしょう。大切なのは、神さまがくださる恵みに気づくことだろうと思います。神さまは目に見えなくても、神さまがくださる恵みは、目で見て、手で触って、肌で感じて感謝することができるからです。
 たとえば、いま自分が生きているということ。心臓が動き、肺が動いて呼吸をしているということ。これは、わたしたちが神さまから頂いている一番大きな恵みだといってよいでしょう。生まれてきたことに感謝し、いまこうして生きていることに感謝する。神さまへの愛はそこから始まります。胸に手を当てて、心臓の音を感じたり、目を閉じて吐く息、吸う息に意識を集中したりしてもいいでしょう。ベッドから起き上がって、自分の足で歩けることも恵みだし、何かを力強くつかんで持ちあげられることも恵みだし、食事をおいしく頂けることも恵み。外に出ればあたたかな陽射しの恵み、さわやかな風の恵み、美しい花たちの恵みなどにも気づくでしょう。さまざまな人たちとの出会いも、その一つひとつが恵みです。
 そのように、一つひとつの恵みを意識していると、わたしたちの毎日は、神さまに感謝することだらけで、他のことを考えている暇さえないくらいです。すべての恵みに感謝して生きるとき、わたしたちの心、精神、思いは神さまへの感謝、神さまへの愛で一杯になる。そういってもいいでしょう。何かに不満をいったり、誰かのことを恨んだり嫉妬したりしている暇もないほど、将来への不安を感じて恐れたり、絶望したりしている暇がないほど神さまの恵みを感じ、いつも神さまへの愛で心を一杯にしていること。「心を尽くし、精神を尽し、思いを尽して」神さまを愛するとは、そういうことではないでしょうか。
 心が神さまへの愛で満たされるとき、その愛は、隣人に向かって自然にあふれ出します。「わたしも神さまから愛されている、あなたも神さまから愛されている。生まれてきて本当によかったね」、そんな気持ちが、隣人に向かって自然にあふれ出すのです。隣人が困っていれば、手を差し伸べずにいられない気持ちになるでしょう。それが、「自分を愛するように隣人を愛する」ということなのです。まずは、「心を尽くし、精神を尽し、思いを尽して」神さまを愛することから、神さまの恵みに気づいて感謝することから始めましょう。

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