バイブル・エッセー(993)ひとつの掟

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ひとつの掟

 そのとき、一人の律法学者が進み出て、イエスに尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」律法学者はイエスに言った。「先生、おっしゃるとおりです。『神は唯一である。ほかに神はない』とおっしゃったのは、本当です。そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています。」イエスは律法学者が適切な答えをしたのを見て、「あなたは、神の国から遠くない」と言われた。もはや、あえて質問する者はなかった。(マルコ12:28-34)

 「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい」、そして「隣人を自分のように愛しなさい」というこの2つこそ、律法のあらゆる掟の中で最も重要だとイエスは言います。神を愛し隣人を愛する。そして、もちろん自分自身を愛する。人間はそのために造られたのであり、それこそが幸せに至る唯一の道だということでしょう。

 「目には見えない神を、どうやって愛するのか」とよく聞かれます。目に見えない神はあらゆる被造物のうちにおられ、わたしたちを愛で包み込んでいる。その愛を感じ取り、喜びのうちに神に感謝を捧げることこそ、神を愛するということだ。簡単に言えば、そういうことになるでしょう。すべての被造物のうちに宿った、目には見えない愛の中にこそ神がおられる。その愛に気づき、その愛をしっかり受け止めることこそ、神を愛することの第一歩だということです。

 そう考えてゆくと、神を愛するということは、被造物を愛するということと実はひとつであることに気づきます。自分を愛し、隣人を愛するということは、自分の中に、あるいは隣人の中に宿った神の愛に気づき、それをしっかり受け止めるということ。神の愛をうちに宿した自分の尊さ、かけがえのなさ、隣人の尊さ、かけがえのなさに気づいて自分を、隣人を大切にするということに他ならないのです。自分の、そして、隣人の価値を肯定し、受け入れることから、神への愛が始まると言ってもよいでしょう。

 「目には見えない神なら、なんとか愛せそうな気がする。でも、こんなダメなわたしを、どうやって愛したらいいのか」と言う人もいます。しかし、目には見えない神は、目に見えるわたし、自分の目には「ダメ」と映っているこのわたしの中におられるのです。自分の心をしっかり見つめ、その奥底に宿った清らかで美しいもの、純粋で汚れのないもの、生まれるときに神が与えてくださった、宝石のように美しい神の愛を見つけ出すなら、わたしたちは自分の尊さに気づき、自分を愛せるようになるでしょう。

 「隣人を愛せと言われても、あんな嫌なやつをどうやって愛したらいいのか」と言う人もいます。しかし、その人の中にも、同じように美しい、宝石のような神の愛が隠されているのです。もしわたしたちがその人から目をそむけず、その人としっかり向かい合うなら、必ずその宝石を見つけ出すことができるでしょう。その宝石を見つけ出すことができたなら、わたしたちは、隣人をかけがえのない存在として受け入れ、愛せるに違いありません。

 「神は愛するけれど、自分は嫌い、あの人は嫌い」ということはありえません。自分も、あの人も、神の愛をそのうちに宿したかけがえのない存在だからです。神を愛するとは、そのまま自分を愛するということであり、隣人を愛するということなのです。自分を愛し、隣人を愛して生きるとき、わたしたちは、自分が神の大いなる愛の中にいることに気づくでしょう。それこそが、わたしたちの救いであり、幸せなのです。イエスの語った2つの掟をしっかり胸に刻み、神を愛し、自分を愛し、隣人を愛することができるよう祈りましょう。

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