バイブル・エッセイ(1114)愛の報い

愛の報い

「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』すると、正しい人たちが王に答える。『主よ、いつわたしたちは、飢えておられるのを見て食べ物を差し上げ、のどが渇いておられるのを見て飲み物を差し上げたでしょうか。いつ、旅をしておられるのを見てお宿を貸し、裸でおられるのを見てお着せしたでしょうか。いつ、病気をなさったり、牢におられたりするのを見て、お訪ねしたでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。』それから、王は左側にいる人たちにも言う。『呪われた者ども、わたしから離れ去り、悪魔とその手下のために用意してある永遠の火に入れ。お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせず、のどが渇いたときに飲ませず、旅をしていたときに宿を貸さず、裸のときに着せず、病気のとき、牢にいたときに、訪ねてくれなかったからだ。』すると、彼らも答える。『主よ、いつわたしたちは、あなたが飢えたり、渇いたり、旅をしたり、裸であったり、病気であったり、牢におられたりするのを見て、お世話をしなかったでしょうか。』そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」(マタイ25:31-46)

 天国に選ばれた人たちに向かって、イエスが、「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれた」と選ばれた理由を語る場面が読まれました。つまり、彼らが知らずに食べものを上げた人、服を着せてあげた人、お見舞いしてあげた人一人ひとりの中に、キリストがいた。そのような「最も小さい者」の一人ひとりがキリストだったということです。
 この話はきっと、多くの人たちにとって慰めになるでしょう。子育てや介護などをしている人から、ときどき、「わたしがこんなにやっているのに、相手はちっとも感謝してくれない。周りの人たちも、わたしがやるのを当たり前のように思っている」という愚痴を聞くことがありますが、この話の通りであるとするなら、その人たちがしていることは必ず最後に報われます。なぜなら、その人たちがしていることはすべてイエスにしていることだからです。世の終わりが来たとき、イエスはその人たちに向かって、「あなたがあのとき服を着せて上げた子ども、トイレの世話をしてあげたお年寄り、あれはすべてわたしだったんだよ。ありがとう」といってくださるでしょう。そして、その人たちは、イエスと共に天国で永遠の喜びと安らぎを味わうことができるのです。
 「そんな先に報われたとしても仕方がない。いま報われなければ意味がない」と思う人もいるかもしれません。しかし、子どもや高齢者、困っている人たちに奉仕することには、本当に報いがないのでしょうか。確かに、相手が感謝してくれたり、周りの人たちがいたわってくれたりすることはないかしもれません。しかし、報いというのはそれだけではないと思います。困っている誰かを助けてあげることができたとき、心に生まれる喜び。誰かのために自分を差し出した愛の喜びこそ、わたしたちがする行いの何よりの報いなのです。その喜びの中にイエスがいるといってもいいかもしれません。
 逆に考えてみてもいいでしょう。もし「それならもうやってられない」といって、子どもや高齢者の世話を止めてしまったら、そのとき、わたしたちの心に何が起こるでしょうか。きっと、困っているその人たちのことを思って、心が痛み始めるに違いありません。たとえ感謝してくれなかったとしても、その人たちは、自分にとって大切な存在。「こんなわたしを、頼りにしてくれる」存在だからです。その人たちを見捨てるとき、わたしたちの心に生まれる痛み、それはイエスから切り離された痛み、愛を見失った痛みだといってよいでしょう。
 「なんで、わたしがこんなことをしなければならないんだ。馬鹿々々しくてやってられない」、そんな風に思ったとき、目の前にいる相手の中に、その人を助けるとき生まれる愛の中に、イエスがいるのだということを思い出せるように。「最も小さい者」を助けるときに生まれる愛の喜びの中に、天国があるのだということを思い出せるように、心を合わせてお祈りしましょう。

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