バイブル・エッセイ(1121)神に捧げる

神に捧げる

 モーセの律法に定められた彼らの清めの期間が過ぎたとき、両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った。親子は主の律法で定められたことをみな終えたので、自分たちの町であるガリラヤのナザレに帰った。幼子はたくましく育ち、知恵に満ち、神の恵みに包まれていた。(ルカ2:22、39-40)

 ヨセフとマリアが、生まれたばかりのイエスを神に捧げる場面が読まれました。「両親はその子を主に献げるため、エルサレムに連れて行った」と語られていますが、実際にこのとき捧げられたのは、イエスだけでなく、ヨセフ、マリアも含めた聖家族の全員だったといってよいでしょう。自分にとって一番大切な子どもを捧げることは、両親にとって、自分自身を捧げるにひとしいことだからです。
 では、子どもを神に捧げる、家族全体を神に捧げるとは、具体的にどういうことでしょう。それは、子どもを、親の思いによってではなく、神のみ旨のままに育てていくということ。家族全員が、自分たちの思いのためではなく、ただ神のみ旨のままに生きていくということだと思います。親として、世間に恥じないような人になって欲しいとか、果たせなかった自分の夢を果たして欲しいとか、そのような思いが湧いてくることもあるでしょう。しかし、そのような思いは神にお捧げし、ただ神が望むままに子どもを育てられるように祈る。自分の思った通りになってもならなくても、ただ神のみ旨のままになるようにと祈りながら子どもを育てていく。それが、子どもを神に捧げるということでしょう。そのように育てたときにだけ、子どもは「神の恵みに包まれて」神から与えられた自分の使命を見つけ出し、自分らしく生きることができるのです。
 子どもを神に捧げるためには、家族全体が神に捧げられる必要があるでしょう。家族全体が神のみ旨に反し、自分たちの思いだけに従って生きるなら、家族の一員である子どもも、神のみ旨のままには生きられないからです。自分たちの将来について夫婦にさまざまな思いがあるかもしれませんが、それも神の手に委ねる。自分たちが望んでいる通りであっても、そうでなくても、神の手にすべてを委ね、日々を喜んで生きていく。そのようにして家族全体を神に捧げるとき、子どもも、その家族の一員として神のみ旨のままに生きられるのです。
 1年の終わりにあたって、神に願いたいことはたくさんあるでしょう。わたし自身、「来年はああなって欲しい。こうなって欲しい」というような思いがたくさんあります。しかし、本当に幸せになりたいなら、神のみ旨のままに生き、「神の恵みに包まれて」生きたいなら、そのような思いはいったん脇に置く必要があるでしょう。「わたしとしてはこのような思いでいますが、それがわたしの幸せとは限りません。すべてをご存知のあなたが、一番よいと思われるようにしてください」と祈り、自分を神に捧げることが大切だと思います。人間は誰もが幸せを願っていますが、私利私欲に駆られ、何が自分にとって本当の幸せなのか、何が一番大切なことなのかを見失ってしまうことが多いからです。1年の終わりに当たって、自分の心をもう一度よく見つめ直し、自分自身を神に捧げることができるように。子どもを、家族を神に捧げることができるように、心を合わせて祈りましょう。

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