バイブル・エッセイ(1130)悔い改めの恵み

悔い改めの恵み

 “霊”はイエスを荒れ野に送り出した。イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1:12-15)

 イエス・キリストの宣教の第一声となる、「悔い改めて福音を信じなさい」という言葉が読まれました。この言葉は、当時のガリラヤの人々ばかりではなく、時代を越えて世界中のすべての人に向けられた言葉だと考えてよいでしょう。救われない人、もう手遅れの人など一人もいない。悔い改めて福音を信じさえすれば、誰であっても必ず救われる。イエスは人々に、そう告げたのです。
 では、悔い改めて福音を信じるとは、いったいどういうことでしょうか。それは、イエスが告げた福音、すなわち、わたしたち一人ひとりがかけがえのない神の子であり、神はわたしたちを愛している。神はわたしたちの父であり、わたしたちを決して見捨てることがないと、心の底から信じること。そして、神に背を向けた生き方を捨て、愛された者としてふさわしい生き方をするということです。神の愛を信じ、神の子としての誇りを持って生きるとき、神の子として互いに愛しあって生きるとき、わたしたちは救われるのです。
 しかし、わたしたちはなかなか悔い改めることができません。それどころか、自分自身の罪深さに嫌気がさし、「こんなわたしはダメだ。救われるはずがない」と思い込んで、イエスの福音に背を向けてしまうことが多いのです。悪魔がわたしたちの心の中に巧妙に入り込み、「お前なんかダメな人間だ。救われるはずがない」「お前のことを高く評価する人間はいないし、お前なんかには価値がない」と語りかけてくる。そういってもいいでしょう。わたしたちは、そんな悪魔の誘惑の言葉に簡単に耳を傾けてしまうことが多いのです。
 悪魔がやっきになってわたしたちを説得しているときにも、イエスはわたしたちに向かって福音の言葉を語りかけています。「そんなことはない。あなたもかけがえのない大切な神の子ども。神の愛に例外などない」と、一生懸命に語りかけてくださっているのです。悔い改めるために必要なのは、その声に耳を傾けることです。悪魔の誘惑を振り払い、わたしたちの心の奥深くから、あるいは聖堂にかけられた十字架の向こう側から、わたしたちに向かって語りかけるイエスの愛の声に耳を傾け、愛されている神の子としての誇りを取り戻す。そして、神の子としてふさわしい生き方を選んで生きていく。それが、悔い改めるということなのです。
「神にゆるせない罪などありません」と、フランシスコ教皇がたびたびいっています。「自分は罪深い人間だ。救われるはずがない」と勝手に決めつけ、あきらめてはいけないということです。どんなに罪深い人間であっても、大きな愛でまるごと包み込んでくださる方。罪深い者であればあるほど、救いたくて仕方がない方。それが父なる神であり、イエス・キリストなのです。四旬節の初めにあたって、もう一度神の愛に心を開き、神の愛を信じることができるよう、悔い改めて新しい生活を始めることができるよう、心を合わせて共に祈りましょう。

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