フォト・エッセイ(2) バラの花


 シレジウスという人が書いた詩に、次のような一節がある。
 「バラは何のために咲くのでもない、
  バラは、ただ咲くがゆえに咲く。」
 先日、教会の青年会と一緒に「布引ハーブ園」へ遠足に行ったのだが、その時とても美しく咲いているバラの花を見てこの一節を思い出した。わたしなりに解釈すると、この言葉は「バラは人の気を引こうとか、他のバラよりも美しく咲こうとか思って咲いているわけではない。ただ、与えられた命のままに、ひたすら咲いているだけだ」という意味だろうと思う。
 何も余計なことを考えないで、ただ神から与えられた命のかぎりに咲いているバラの姿にとても心を惹かれる。わたしは、普段よけいなことばかり考えすぎて、神から与えられた命を十分に生き切れていないような気がするからだ。どうやったら助祭として教会の人々から受け入れてもらえるだろうとか、すぐれた助祭として評価してもらえるだろうとか、ついそんなことばかりを考えている自分を見つけていやになることがある。
 バラは、自分を実際よりよく見せようとしてあくせくすることがない。ただ、自分の中からこんこんと湧き上がってくる命の力に生かされながら咲いているだけだ。わたしたちも与えられた命の限り、ありのままに、自分らしく咲けばいいのだろう。
※写真の解説…5月18日、神戸市の「布引ハープ園」にて撮影。