祈りの小箱(211)『「できる」ことと「である」こと』


『「できる」ことと「である」こと』
 教会の庭の片隅で、オキザリスが鮮やかな黄色い花を咲かせました。誰が植えたわけでもなく、まるで雑草のように繁殖している花です。小さくて目立たない花ですが、腰をかがめてじっと見つめると、まるで春の命を一身に宿したかのような美しさです。惜しみなく恵みを与えて下さる神様は、野の花の一つ一つに、それぞれ最高の美しさを与えたのだと思わざるをえません。
 わたしたち人間も、それと同じだと思います。誰からも見られなくても、人から評価されることがなくても、自分らしく精一杯に生きている人は美しいと思います。他の人と比較することは、まったく無意味です。誰かと真剣に向かい合うとき、わたしたちはその人の中に、その人にしかない美しさを見つけ出すのです。タンポポにはタンポポの、バラにはバラの、オキザリスにはオキザリスの美しさがあるように、わたしたち一人ひとりに、わたしたちだけの美しさがあるのです。そして、その美しさは世界で唯一、最高の美しさなのです。
 わたしたちはつい、自分の価値を何かが「できる」ことに求めてしまいがちですが、わたしたちの価値はむしろ自分が自分「である」ことから生まれます。精一杯に自分らしく生きている人は、たとえ誰からも見られることなく、世間の役に立たなかったとしても、それだけで十分に美しく、価値があるのです。本当に美しいのは、背伸びをして「できる」自分を演じる人ではなく、精いっぱいに自分らしく生きる人。そのことを、花たちから学びたいと思います。
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