フォト・エッセイ(8) 癒しの力


 この写真を撮りに行った頃、わたしは大きな困難にぶつかっていた。これまでの人生でぶつかったいくつかの困難の中でも、割と大きい方の困難だ。なかなか説明するのは難しいことだし、ブログでみなさんに打ち明けるような性質のものでもないので、ここでは詳細に立ち入らない。なにしろ当時のわたしは、一歩間違えば谷底に落ちるというくらいの緊張感を抱いて生活していた。今思い出しても、あらためてぞっとする。
 ともかくそのくらいひどい時期のある日の早朝、まだ薄暗いうちから真っ青に晴れ上がった空を見上げて、わたしは急に「そうだ、今から日光に行ってしまおう」と思い立った。目的地は戦場ヶ原だった。戦場ヶ原には昔、修学旅行で行ったきり何年も行っていなかったのだが、なにしろ美しい場所だったという記憶が残っていた。あそこにまた行ってみようと思ったのだ。当時わたしが住んでいた修道院から日光までは、電車を乗り継いで3時間くらいの距離だった。日帰りできない距離ではない。朝のミサが終わるとわたしはそそくさと修道院を抜け出して駅まで小走りに駆け、日光へ向かう電車に飛び乗った。6月半ばのことだった。
 日光駅に着いてバスで中禅寺湖まで上がるあいだも新緑の美しさに見とれていたのだが、戦場ヶ原のバス停で降りて歩き始めると、わたしはたちまち木々の緑の美しさ、湯川の透明なせせらぎ、咲き乱れる花々に魂を奪われてしまった。しばらくのあいだ、わたしは湿原に作られた木道の上を夢遊病のようにただ歩き回るだけだった。目に留まる美しさがわたしの心と特に激しくシンクロした時には、その景色をすべてカメラに収めた。この写真は、そうやって撮った写真のうちの1枚だ。
 何時間か歩き回って、ふと気がつくと、わたしの心の中にもはや重苦しさはなかった。この美しい自然の中を歩かせてくれるほどに神様がわたしを愛してくださっていることを感じて、もはや何も心配することはないとわかったからだ。どちらに転んでも神様がしっかりと支えてくれるから、絶対に谷底に落ちるようなことはないとわかったのだ。そのことを実感したとき、そのときぶつかっていた困難はもはやわたしにとって耐えがたいものではなくなった。わたしはいつも自然から癒されているが、あのときのように自然の力の背後にはっきりと神の存在を感じ取ったことはあまりない。

※写真の解説…両方とも6月中旬に日光・戦場ヶ原で撮影。白く咲いている花はズミの花。