バイブル・エッセイ(15) 種まき


 その日、イエスは家を出て、湖のほとりに座っておられた。すると、大勢の群衆がそばに集まって来たので、イエスは舟に乗って腰を下ろされた。群衆は皆岸辺に立っていた。イエスはたとえを用いて彼らに多くのことを語られた。
 「種を蒔く人が種蒔きに出て行った。蒔いている間に、ある種は道端に落ち、鳥が来て食べてしまった。ほかの種は、石だらけで土の少ない所に落ち、そこは土が浅いのですぐ芽を出した。しかし、日が昇ると焼けて、根がないために枯れてしまった。ほかの種は茨の間に落ち、茨が伸びてそれをふさいでしまった。ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。耳のある者は聞きなさい。」(マタイ13:1-9)

 この種をまく人というのは、どうやらイエス様のことのようです。イエス様は、まるでお百姓さんのように来る日も来る日も、神様の言葉という種をみんなの心にまき続けています。その体験に基づいてこの話をしたのでしょう。イエス様は教会学校でも種まきをしていますから、教会学校を例にとってこの話を説明してみましょう。
 あるとき、将太くんは教会学校で「イエス様はみんながお父さん、お母さんを大切にするように言っています」と習いました。そうか、それじゃあ家で少しお手伝いでもしようかなと思いながら家に帰った将太くんでしたが、家に帰るとちょうど隣の勇太くんが遊びにきたので、お手伝いをしないで遊びに行ってしまいました。どうやら、イエス様の言葉は鳥に食べられて消えてしまったようです。
 またあるとき、将太くんは教会学校で「仲間外れにされている子がいたら、仲良くしてあげましょう」と習いました。そうだな、仲間外れは嫌だからなと思った将太くんは、翌日学校で仲間外れにされている友だちと仲良くしました。ところが、それを見ていたいじめっ子のグループから「なんでお前あいつと仲良くするんだよ」と言われると、もうその友だちに話しかけたくなくなってしまいました。どうやら、イエス様の言葉は強い日差しに焼けて枯れてしまったようです。
 またあるとき、将太くんは教会学校で「世界には飢えた人がたくさんいます。募金しましょう」と言われて、よし来週100円持っていこうと心に決めました。ところが、ある日街を歩いていると珍しいポケモンのカードが売っていて、それがちょうど100円でした。将太くんは少し迷いましたが、ポケモンのカードを買ってしまいました。どうやら、イエス様の言葉は茨に覆い隠されてしまったようです。
 ところがあるとき、将太くんは今までに教会学校で聞いたことを思い出して、ぜんぶ実行してみました。すると、お母さんは大喜びして、にこにこしながら「うちの子がこんなことを言ってくれたんですよ」とご近所の人に言ってまわりました。仲間外れにされていた友だちや、その子のことをかわいそうに思っていた他の友だちが将太くんの周りにたくさん集まってきました。そして、将太くんが貯めたお金はたくさんのお腹を空かせた人たちの命を助けました。どうやら、イエス様のまいた種が何十倍もの実を結んだようです。
 イエス様は、毎週毎週、教会に来るたびにみなさんの心に種をまいてくださいます。ある種は鳥に食べられたり、枯れたり、茨に埋もれたりしてしまうけれど、ある種はみなさんの心に残っていていつかたくさんの実を結ぶはずだ、イエス様はそう信じて辛抱強く何回も何回も種をまいてくださるのです。これは本当にうれしいことですね。わたしたちが聞く耳さえ持っていれば、イエス様はいつでもわたしたちの心に種をまいてくださるのです。決してあきらめてしまうことはありません。
 そんなイエス様のまいた種、神様の言葉を、できれば心の奥深くで受け止めて、大きな木に育て、たくさんの実を実らせていきたいものです。
※写真の解説…満開のズミの花。日光・戦場ヶ原にて。