フォト・エッセイ(35) 長崎にて


 一昨日の晩、長崎での「年の黙想」を終えて東京に戻ってきた。今回の「年の黙想」は叙階式に向けた心の準備という意味合いも兼ねていたが、二十六聖人記念館館長のレンゾ神父様のご指導と長崎という土地柄のお陰で恵み豊かな準備になったと思う。黙想の随所で、殉教者達のこと、永井隆博士を初めとする原子爆弾の犠牲になった多くの信者たちのこと、隠れキリシタンの信仰のことなどを織り込みながら祈ることができた。この黙想中に考えたことや体験したことを、何回かに分けて書いていきたいと思う。
 わたしたちが泊まっていた黙想の家は、長崎の港を見下ろす高台にある。窓から外を眺めていると、まるで展望台から街を眺めているようで、いつまでたっても飽きることがない。窓から長崎独特のさわやかな風が絶えず流れ込んでいたこともあり、今回の黙想のあいだ、昼間は窓際に座って祈っていることが多かった。夜は、奥まったところにある部屋でこっそりと毎晩ミサを立てる練習をしていた。ミサそのものが祈りだとも言えるし、叙階式の直前ということを考えればそのくらいのことはしてもいいだろうと思ったらからだ。
 ミサの練習をしたり、改めてミサ典礼の総則を読み返したりしながら、あるとき「ミサの中で一番大切なのは、ミサそのものだ」ということに気づいた。ミサの前、どうしてもお説教の準備にばかり時間をかけてしまうが、どうもそれは間違っているのではないかと思ったのだ。ミサで何よりも大切なのは、御聖体と御血においてわたしたちと共におられるイエス・キリストと出会うことに他ならない。お説教はそのための1つの助けにすぎない。ミサでの司祭の最大の役割は、ミサ中の1つ1つの言葉、1つ1つの仕草を通してイエス・キリストと会衆の出会いを媒介することだろう。ミサが終わったとき、人々が「今日はいい説教だった」というようなミサではなくて、「ああ、イエス・キリストと出会うことができた」と思うことが出来るようなミサが最高のミサだろうと思う。ミサの体験とは、イエス・キリストとの出会いの体験に他ならないのだ。
 そう考えたとき、おそらく決定的に重要なのは司式する司祭の信仰の深さだろう。ミサ中のちょっとした声の調子、言葉、表情、仕草などを通してにじみ出る司祭の信仰が、御聖体におけるイエスの現存をより明らかなものとし、人々とイエスとの出会いを媒介していくからだ。お説教は司祭の信仰を現すとても大切な要素の1つだが、あくまでも要素の1つにすぎない。なにより大切なのは、お説教を生かす司祭の信仰そのものだ。ミサは信者にとって全ての礼拝の頂点だと言われるが、司祭にとってミサを立てることは司祭の全信仰生活の頂点だといえるだろう。
 だから、ミサを立てるためには、前日にお説教の準備をするだけでは全く不十分だ。わたしが立てるミサに出た信者さんたちをがっかりさせないように、生活のすべてをミサに向けて整えていきたいものだと思う。司祭の役割は人々とイエス・キリストの出会いを媒介すること、そうすることで神の愛を人々に伝えることだが、その頂点は間違いなくミサなのだ。わたしの不信仰が、ミサにおけるイエスの現存を曇らせるようなことがあってはならない。明日から司式することになる1つ1つのミサを、自分の信仰生活の総決算と思って大切にしていきたいと思う。




※写真の説明…1枚目は、イエズス会黙想の家から見た夕暮れ時の長崎港。2枚目、3枚目は、同じく黙想の家から見た昼間の長崎港と稲佐山