【フランシスコ教皇の言葉】


フランシスコ教皇の言葉
■初めての一般謁見での挨拶から■
3月27日に行われたフランシスコ教皇の初めての一般謁見での挨拶の抜粋です。
「聖週間にわたしたちは、この旅、神と人との交わりの歴史全体を貫くこの愛の計画の頂点を生きることになります。イエスは、ご自分の全生涯の要約となる最後の一歩を踏みだすためエルサレムに入ります。イエスはご自分をすべて差し出し、何も手元に残しません。命さえも差し出すのです。」
「イエスは、暴力的な死を前にしたとき、人間として深い心の動揺を隠しませんでした。しかし、イエスはまったき信頼のうちに、ご自分を父に委ねたのです。イエスは、父なる神の愛にこたえるために、神の御旨との完全な一致のうちに、進んでご自分を死に追いやったのです。そうすることで、神の愛をわたしたちに証したのです。」
「イエスに従って聖週間を過ごすとは、単に心の中だけのことではありません。イエスに従って聖週間を過ごすとは、自分自身から抜け出す方法を学ぶということです。他者に手を差し伸べること、片隅に置かれた人々のもとに出かけて行くこと、兄弟姉妹、特に最も遠くいる人々、忘れられた人々、理解や慰め、助けを最も必要としている人々に近づく初めの者になるということなのです。」
「聖週間を過ごすとは、神の論理、すなわち、苦しみと死ということだけでなく、愛と自己犠牲によって命をもたらす十字架の論理により深く入っていくということです。福音の論理に入っていくということです。イエスに従い、イエスのもとにとどまってイエスに寄り添うには、『踏み出す』ことが必要です。自分自身の外に踏み出すこと、くたびれて形式的になった信仰生活から踏み出すこと、神の創造的な業に心を閉ざす結果に終わる、いつものパターンに閉じこもろうとする誘惑から踏み出すことが必要なのです。神がイエスにおいてご自身の外に出られたように、イエスがわたしたちすべてのためにご自身の外に出られたように、自分の外に出ましょう。」
「聖週間は、私たちの心の扉を、私たちの生活を、私たちの教区を開くために、そして他者に向かって『踏み出す』ために、彼らに近づいて信仰の光と喜びを運ぶために、主が与えて下さった恵みです。あなたたち自身の外に踏み出しなさい。神の愛と優しさをもって、尊敬と忍耐をもって、わたしたちが手を差し伸べ、足を踏みだし、心を開くとき、それらを導き、すべての活動を実りあるものにしてくださるのは神だということを忘れずに。」
■聖香油のミサでの説教から■
「めったに自分から抜け出さない司祭は、人々のもっともよい部分を使い損ねています。司祭としての心の深みを掻き立てる部分を使い損ねているのです。自分自身から抜け出さない司祭たちは、救いの仲介者となる代わりに、管理人や支配人のようになっていくでしょう。」
「親愛なる司祭たちよ、父なる神が、わたしたちがその霊と共に司祭となった聖なる霊を新たにしてくださいますように。主がわたしたちの心にある主の霊を新たにし、この油がすべての人々に、信仰を生きる人々が最も気を配り、価値を見出している周辺部に置かれた人々にまで行き渡りますように。わたしたちが主の弟子であることを、人々が感じ取りますように。司祭の祭服には彼らの名前が縫い込まれているということ、わたしたちは他の自己実現など求めていないということを感じ取りますように。わたしたちの言葉と行いから人々が、油注がれた者、イエスが与えてくれた喜びの油を受け取ることができますように。」
■主の晩餐のミサでの説教から■
 3月28日にローマ市内の少年院で行われた「主の晩餐のミサ」での説教の抜粋です。この説教のあと、フランシスコ教皇自身が少年たちの足を洗い、その足に接吻しました。
「洗足は主によって定められた模範であり、弟子たちの足を洗うことは主にとって重要なことでした。なぜなら、わたしたちのあいだでは、一番高くされた者は、他者に仕える者でなければならないからです。これはシンボルであり、しるしです。足を洗うとは、相手に奉仕するということなのです。わたしたちも、わたしたちの間でそうしなければなりませんが、そのために毎日互いの足を実際に洗う必要はありません。互いに助け合えばよいのです。」
「私たちは今から洗足の儀を行います。『他者を喜んで助けたいと思っているだろうか』と自分自身に問わねばなりません。イエスは喜んで助けたいと思っていました。このしるしを、キリストが自分に触れていることのしるしと思ってください。イエスは、そのためだけに来たのですから。私たちに仕え、私たちを助けるためにだけに。」
教皇様のツイート■
「イエスと共にいるならば、自分自身から、また、くたびれて形式的になった信仰生活から抜け出さなければなりません。」
「聖週間を体験するとは、愛と自己犠牲に基づく神の論理にもっと深く入っていくということです。」
「あなたがたの愛と、キリストの心に倣って常に牧者であるようにとの祈りで司祭たちを支えなさい。」