フォト・エッセイ(39) 書写山


 姫路城の前からバスに乗り、書写山円教寺へと向かった。書写山円教寺という名前は神戸に住み始めてから知ったが、関西では有名なお寺らしい。「西の比叡山」とも呼ばれているそうだ。最近では映画「ラスト・サムライ」の舞台にもなったという。静寂の中に祈りの雰囲気が漂う霊場だと聞いていたので、とても楽しみにして出かけた。
 山門をくぐってすぐのところに、京都の清水寺と同じ舞台作りの大きなお堂があった。険しい斜面にそびえたつお堂は、辺りを圧するような荘厳さを漂わせており「いよいよ、ここから霊場に入るのだな」という期待が高まった。摩尼堂と呼ばれるそのお堂を過ぎてしばらく行くと、三つのお堂がコの字型に並んでいる寺の中心部に出た。うっそうと生い茂る木々の中で、その周りだけ時間が数100年前から止まってしまっているような場所だった。時代劇には、まさにうってつけの舞台だろう。
 さて、それではいよいよ静寂の中で祈りの空気を吸い込むぞと思ったときに、残念ながら団体の観光客たちが入ってきた。わいわい騒ぎながら歩きまわる彼らの声でせっかくの静寂が壊れてしまったので、わたしはもっと奥まで進むことにした。さらに進んだところに、「奥の院」と呼ばれる塔頭群があると地図に書かれていたからだ。山道をしばらく歩いて「奥の院」に近づいた時、なにやら作業服を着た人たちが動き回っているのに気がついた。その段階でいやな予感がしたのだが、案の定すぐに建設機械が動く大きな音が聞こえてきた。なんと、「奥の院」は工事中だったのだ。憧れていた静寂の雰囲気は、残念ながらそこにもなかった。
 しかたがないのでもっと奥まで進み、林の中に置かれているベンチまで行って一休みした。高く伸びた杉木立の中で、ようやくわたしは求めていた静寂を見つけることができた。静けさの中で、山全体が醸し出している聖なる雰囲気を感じているうちに、なんともいえない安らかな気持ちが心の中に広がっていった。やはり人間には、俗世間から離れて静けさの中にとどまる時間が必要なのかもしれない。
 城塞が持つ心をかきたてるような壮大さや息を呑むような美しさもときには心を慰めてくれるが、やはり一番深いところで人間が求めているのは、何もないところで静かさに包みこまれる一時なのではないかと思う。静寂の中でじっと座っていると、山の木々や大地から流れだしてくる聖なる力のようなものを体で感じることができる。人間の力をはるかに越え、時を越えて存在し続けるそれらの力が体に流れ込んでくるのを感じていると、なんともいえない安らぎを感じる。自分では気づいていなかったが心のどこかにあった深い欠損が、それらの力によって癒されていくようだ。そのような静寂の力を感じているうちに、午前中にお城の周りを歩き回った疲れだけでなく、叙階式前後からたまっていた心と体の疲れも癒されていくようだった。
 姫路城にしても書写山にしても、わたしの想像をはるかに越えてすばらしい場所だった。関西には、見るべき場所がまだまだたくさんありそうだ。




※写真の解説…1枚目、書写山円教寺摩尼堂。2枚目、大講堂。3枚目、書写山から見た姫路の街。