やぎぃの日記(6) 聖霊の風


 聖霊の働きはよく風に譬えられるが、今日そのことを体で感じる出来事があった。「そんなことがほんとにあるのか」と疑う人がいるかもしれないが、まあ聞いてもらいたい。
 西宮のカルメル会での、初ミサ中の出来事だ。そもそも、修道院の門をくぐった時から何かとても聖なる空気を感じてはいた。「清澄」という言葉があるが、あの修道院の中に流れている空気を表現するためにあるような言葉だ。案内係りのシスターに連れられて修道院の中を歩いているうちに、なんだか心の汚れが清められていくような感じがした。香部屋で紹介されたカルメル会の神父さんの雰囲気も、また聖なるものだった。80歳くらいのイタリア人の神父様だったが、たまたま修道院に滞在中でわたしと一緒にミサを立ててくださるということだった。神の愛が透けて見えるような方だなぁ、というのが彼と出会ったときの第一印象だ。表情にも言葉づかいにも、まったく自我の汚れのようなものが感じられなかった。
 そんなわけで、ミサを立て始める前にすでに聖なる空気に飲み込まれていたことは認めなければならない。正直言って「こんなところでわたしのような汚れた人間がミサを立ててしまっていいのだろうか」という気持ちだった。だが、そこで今さら「申し訳ありませんでした」と謝って帰るわけにもいかないので、あとはもう神様にすべてお任せしようと思ってなんとかミサを立て始めた。
 ミサは順調に進んでいった。歌もあまり音程を外さずに歌えたし、説教もなんとか無事に終わった。「感謝の祭儀」も、シスター方が本当にうれしそうにミサに与っておられたので、わたしも心から神様に感謝しながら捧げることができた。そうやって、感謝と喜びのうちに聖体拝領が終わり、しばらくの沈黙をおいてから再び祭壇に近づいたそのときのことだ。
 一瞬、何が起こったのか分からなかった。シスターたちの席の方から、何かとても強い力がわたしに向かって押し寄せてきたのだ。ちょうど、激しい向かい風の中を歩いているときのような感じだった。吹き飛ばされてしまうくらいの強い風のように感じた。体がわずかに後ろに押し流されたような気さえする。「風?しかし、そんなことがあるはずがない。落ち着け」と自分に言い聞かせながら、わたしは着けていたカズラ(お祝いの時などに一番上に着る祭服)を確認した。もし本当に風が吹いているのならば、カズラも揺れているはずだからだ。典礼書をめくりながら、ちらっとカズラに目をやると、なっ、なんとカズラもかすかに揺れているではないか。
 あの力は一体何だったんだろうか。カズラが揺れていたというのは、わたしの目の錯覚かもしれない。だが、今まで感じたことがないような力が押し寄せるのをわたしが感じたというのはまぎれもない事実だ。窓を閉め切った聖堂に、あんなに強い風が起こるということはありえない。あれが物理的な力でなかったとすれば、考えられるのは、もしかするとあれが聖書に出てくる「聖霊の風」というものだったのではないかということだ。聖霊降臨のときに吹いたという「激しい風」、あれと似たような風が吹いたのかもしれない。シスターたちの祈りが神の計り知れない恵みをもたらし、それが「聖霊の風」となってわたしに押し寄せた、わたしは今のところあの体験をそのように理解している。皆さんは、どう思われますか?
 ※写真の解説…秋風に吹かれる秋明菊紫式部丹波篠山にて。