東京滞在中の3日目、足立区にある「神の愛の宣教者会東京修道院」で初ミサを立てさせてもらった。ちょうど炊き出しの日だったので、ボランティアの方々も御ミサに参加してくださった。御ミサが終わった後、わたしも一緒に池袋まで炊き出しに連れていってもらった。
今から15年ほど前、カルカッタに行っていた時期の前後にわたしは毎週この修道院に通い、御ミサに出たりシスターたちの仕事を手伝ったりしていた。2年くらいは通っていたと思う。カルカッタへの行き方などを最初に教えてくれたのもこの修道院のシスターたちだったし、たくさんの思い出がある場所だ。修道院の建物は新しく建て替えられていたが、人生に迷い苦しむ中で「ここに通っていればなにか見つかるかもしれない」と思いながら毎週御ミサに通っていた時期のことを思い出すと感慨深いものがあった。
しかし、御ミサを立てている間にその感慨はどこかに吹き飛んでしまった。御ミサを立てている間も、池袋での炊き出しを手伝っていた間も、わたしは胸が詰まる思いだった。御ミサに参加しているボランティアの方々やシスター方の姿、そして炊き出しの列に並んでおられた方々の姿を見ながらわたしの胸にこみ上げてきたのは、言いようのない後悔や悲しみだった。
神学の勉強をしていた最後の1年間と神戸に来てからの半年、わたしはすっかり貧しい人たちとの接触から遠ざかっていた。修道院の中での快適な生活や豊かな教会での司牧活動の中に埋没して、貧しい人たちから目をそらしていたのだ。特に、神戸に来てからはその傾向が強くなっていたと思う。御ミサの間、熱心に祈っておられるボランティアの方々やシスター方の姿を見ながら、ふとそのことに気づいた。わたしが修道院に閉じこもって勉強をしていた間も、六甲教会でいい気になって働いていた間も、この人たちはただひたすら貧しい人たちの傍らに寄り添い、彼らと共に歩んでいたのだ。
神戸に来てからのわたしは、ただ六甲教会の中だけのことしか考えていなかったように思う。どうしたら教会が活性化するのか、どうしたら若者たちを教会に集められるのか、どうしたらいいミサが立てれらるのか、わたしの頭の中にあったのはそのようなことばかりだった。教会の外にいる貧しい人たちのことは、すっかり忘れていたと言っていい。気づかないうちに、わたしの目は若者たちや裕福な人たちなど教会のために役立ちそうな人たちばかりに向かっていたのかもしれない。そのような人たちだけに奉仕して、何かいいことをしているような気になっていただけなのかもしれない。それでは、貧しい人たちの存在を無視して神殿と自分たちの繁栄のことだけを考えていた祭司長や律法学者たちとまったく同じではないか。
イエスは、神殿の中でぬくぬくと生活していた祭司長たちをあざ笑うかのように、あえて貧しい人たちと共に住むことをお選びになった。神様は神殿の立派な建物の中におられるのではなく、貧しい人たちと共にこそおられるのだということを身をもって示した。神殿から遠ざけられ、罪人と呼ばれ、神からの愛も人間からの愛も感じられずに苦しんでいた人たちと共にとどまることで、彼らに神の愛を余すところなく伝えたのだ。それこそがまさに、イエスのもたらした福音の核心ではなかったのか。それなのにわたしは今まで一体何をしていたのか、そう思ったときに胸が苦しくて仕方がなくなった。
わたしは、何か決定的に大切なことを忘れていたようだ。「神の愛の宣教者会」での初ミサを通して気づかせてもらったこのことを、どうしたら神戸での働きに生かせるのだろうか。
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※写真の解説…1枚目、神の愛の宣教者会東京修道院。2枚目、御ミサの後の祈りの風景。3枚目、修道院の前に置かれたマリア像。