祈りへの招き(1) 「さあ、ベツレヘムに行こう」

 先日、第50回神戸市民クリスマスで行った「祈りへの招き」を文章にしてみました。

《聖書朗読》
 その地方で羊飼いたちが野宿をしながら、夜通し羊の群れの番をしていた。すると、主の天使が近づき、主の栄光が周りを照らしたので、彼らは非常に恐れた。天使は言った。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは、布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」
 すると、突然、この天使に天の大軍が加わり、神を賛美して言った。
「いと高きところには栄光、神にあれ、/地には平和、御心に適う人にあれ。」
 天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか」と話し合った。そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。(ルカ2:8-16)

《祈りへの招き》
 貧しい羊飼いたちのもとに天使が現れ、「あなたがたのために救い主が生まれた」と告げました。住む家もなく、一年中羊を追って野宿生活をしている貧しい彼らのために、救い主が生まれたというのです。人々から見下され、社会の片隅に追いやられて誰からも顧みられない彼ら一人ひとりを限りなく大切に思っている。その「しるし」として、神は彼らのために救い主を送ったというのです。
 社会から見下され、自分に価値がないと思い込まされている人たちに「そんなことはありません、あなたたちは大切な神様の子どもなのです」と告げること。これこそが、まさに福音の核心でしょう。振り返ってみれば、20世紀に何人かのキリスト者たちは全世界にはっきりした証によってこのメッセージを伝え、全世界を揺るがしました。
 マーチン・ルーサー・キング牧師。彼は、アメリカ社会の中で蔑まれ、価値のない愚か者として扱われていた黒人たちに「そんなことはない、神は白人も黒人も同じように愛してくださる方だ」と告げました。
 マザー・テレサ。彼女は、インドの路上で誰からも看取られることなく死んでいく人たちの傍らに座り、彼らの手を握り締めながら「あなたたちは本当に大切な神の子どもなのです」と告げました。
 彼らがしたことは、今日の福音の中で天使がしたことと全く同じです。社会から疎外される中で自分の生きる意味に疑問を感じ、絶望しかけている人々に、彼らは「一人ひとりが大切な神様の子どもなのだ」という喜びの知らせを告げたのです。
 このメッセージは、地上の価値観を根底から覆すものです。人間の社会では、お金や権力がある人、高い地位についた人、特殊な能力がある人などが高く評価され、そうでない人たちは「負け組」などと言われて社会の片隅に追いやられていきます。しかし神様の前では、来るべき「神の国」では、この価値観は完全に覆されます。「神の国」では、自分たちの力を過信して驕り高ぶり、神をないがしろにする人たちは片隅に追いやられ、自分たちの無力さを知って神によりすがる人たちは神のもとで永遠の喜びを生きるのです。
 この知らせを聞いた羊飼いたちは、どれほど喜んだことでしょうか。喜びに輝く顔を互いに見合わせながら「さあ、ベツレヘムへ行こう」と言っている彼らの姿が目に浮かぶようではありませんか。喜びにあふれてイエスを探し求める旅、それこそがわたしたちの信仰であり、祈りだと思います。わたしたちも、羊飼いたちと心を一つにしてこの喜びの旅に出かけましょう。
1.身体に聞く祈り
 祈りとは、今ここで神様がわたしたちに語りかけてくださる言葉に耳を傾けることです。わたしたちは今、ここで生きているのに、すでに起こってしまった過去の出来事を後悔したり、まだ起こっていない、そして実際に起こるかどうかも分からない未来の出来事を心配したりしてほとんどの時間を過ごしています。過去のことや未来のことで心を一杯にしていては、今ここでわたしたちに語りかけておられる神様の声を聞くことは決してできません。
 今、ここで生きている自分に気づくために、まずわたしたちの身体が感じていることに意識を集中してみましょう。聞こえてくる音、自分の息、隣に座っている人の気配、肌が感じている暖かさや寒さなどに意識を集中してみましょう。そして、今、ここで生きている自分に気づくことができたなら、そのことを神様に感謝しましょう。
2.振り返りの祈り
 祈りとは、神様が与えてくださった恵みに感謝することであり、またわたしたちの過ちを神様にお詫びすることです。日々の生活の中で、さまざまな出来事を通して神様はわたしたちにあふれるほどの恵みを与えてくださいます。しかし、わたしたちは普段その恵みに気付いていません。そればかりか、そのような恵みを当然のことと見なし、自分はもっとたくさん与えられるべき人間だと思いあがって神様に不平や不満を言ったりします。
 今年一年を通して、神様がわたしたちにどれほどの恵みを与えてくださったか、そしてまたわたしたちがその恵みに対してどれほど鈍感であったかを思い出したいと思います。みなさん、自分の手をじっと見てください。わたしたちの手は、この1年間にどのような恵みを受け取ったでしょうか。どれほどの恵みを拒んでしまったでしょうか。
3.心に聞く祈り
 祈りとは、心の一番奥深いところからわたしたちに語りかけてくださる神様の声に耳を傾けることです。マザー・テレサは、次のように言っています。
 「イエスは、わたしたちの心の深みでわたしたちに語りかけます。心の深みでイエスはわたしたちの目をじっと見つめ、わたしたちの名前を呼んでいるのです。心の深みに降り立ち、その声に耳を傾けましょう。」
 神様は、心の底から小さな声でわたしたちに語りかけてくださいます。ですが、わたしの心の表面には、たくさんの大きな声が飛び交っているのでその声が聞こえません。「あれが欲しい、これがしたい」と叫ぶ声、「あいつが嫌いだ、あんな奴いなくなれ」と叫ぶ声、神様の小さな声はそのような大声にかき消されてしまうのです。しばらくのあいだ、それらの大声に遮られて聞こえにくくなっている、心の底からささやきかける神様の小さな声に耳を傾けてみましょう。その声は、わたしたち自身ですら知らない「本当のわたし」の声であり、神様からの呼びかけなのです。
※写真の解説…ベトレヘム近郊の「羊飼いの野」と呼ばれる地区で撮影した写真。今でも、2000年前と同じように羊飼いたちが羊を放牧している。