フォト・エッセイ(74) 越冬


 神戸市役所の隣にある東遊園地で、越冬のための炊き出しが昨日まで行われていた。毎年、神戸の市民団体や教会、市役所職員などが協力して年末年始に行っている炊き出しだ。昨年末から今年にかけて、日比谷公園での「年越し派遣村」が話題になったが、年末年始は仕事がなくなって食事に困る人たちが全国にたくさんいる。神戸も例外ではなく、連日300人以上の人たちが東遊園地での炊き出しの列に並んだ。
 炊き出しの最終日である昨日は、カトリック教会が食事の準備を担当する日だった。六甲教会からもたくさんの信者さんたちが参加するということだったので、わたしも一緒に参加させてもらった。午後から撤収作業に入るということもあって、昨日は手間のかからないインスタント・ラーメンとおにぎり、そして六甲教会から寄付されたどら焼きとバナナが準備された。たくさんの人がボランティアとして参加していたので人手は足りていたようだったが、せっかくなのでわたしもおにぎりを握ったりラーメンを配ったりするのを手伝わせてもらった。
 おじさんたちに配り終わった後、ボランティアにもラーメンが配られたので、噴水の周りに腰掛けながらおじさんたちと一緒に食べた。たまたま隣り合わせた60歳くらいのおじさんは、湊川の方で生活保護を受けながら1人暮らしをしているということだった。「生活保護と言ってもわずかな金額だし、うちで独りでテレビを見ていてもつまらないから、毎日ここまで食事をもらいに来てるんだよ」というようなことを、彼はラーメンを食べつつ、どもったりつかえたりしながら訥々と話し始めた。田舎から神戸に働きに出てきて、もう40年になるという。その間、田舎へは一度も帰ったことがない。「もう親も死んでしまったし、兄弟にも今さら会わせる顔がないからなあ」と言いながら浮かべたさびしそうな笑顔がとても印象的だった。
 彼はおそらく、とても不器用な人なのだろう。周りの仲間たちのようにうまく社会に適合して、正規の職についたり結婚したりすることができなかった。彼なりに一生懸命がんばって生きてきたのだが、社会は彼のがんばりをそれほどには認めてくれなかった。最後に待っていたのは、生活保護費で借りたアパートの小さな部屋でテレビやラジオを友として過ごす孤独な老後だった。そんな「彼」や「彼女」が、日本中に何万人もいるだろうと思う。
 わたしにできることは限られているが、一人でも多くの「彼」や「彼女」に出会いたい。そして、彼らになんとかして「あなたは神様の大切な子どもなんですよ」というメッセージを伝えていきたい。温かな日差しが降り注ぐ正月の公園で、ふとそんなことを思った。







※写真の解説…1枚目、ボランティアたちの打ち合わせ。2枚目、準備された支援物資。3枚目、ラーメンの支給を待つ人々。4枚目、ラーメンに湯を注いでいるところ。