- 作者: 大澤真幸
- 出版社/メーカー: 岩波書店
- 発売日: 2008/09/26
- メディア: 単行本
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あの事件が起こったとき、わたしも「殺す相手は誰でもよかった」という容疑者の言葉に当惑した。まったく見ず知らずの人、それもただ街を歩いているだけの人を殺す動機が一体どこにあるのか見当もつかなかったからだ。正常な精神状態の人間に、はたしてそんなことが可能なのか。
報道で事件の背後が明らかになるにつれて、彼を追い詰めたのは彼自身の歪んだプライドであったことが明らかになってきた。彼が社会の中で与えられた派遣会社社員という立場は、彼の「本来あるべき自分」の姿とあまりにもかけ離れていた。社会から認められ、女性にもてる有能な自分が「本来あるべき自分」だったのに、現実には誰も彼をそのように評価してくれなかった。自分を認めてくれない社会に対して憎しみを募らせた彼は、社会から認められ幸せそうにしている人々にその憎しみをぶつけた。だから殺す相手は、彼よりも幸せそうな人なら「誰でもよかった」のだ。
彼の心の動きの前半までは、ほとんどの若者が1度は体験するようなものだろう。わたし自身も、「本来あるべき自分」と「現実の自分」のギャップに苦しんだことがたびたびあった。まったく理解できないのは後半の心の動きだ。普通の若者は、どこかの段階で「現実の自分」と折り合いをつけ、「現実の自分」を受け入れることができるようになっていくと思う。ところが、あの事件の容疑者はそれができないまま自分を思ったとおりに評価してくれない社会に不満を募らせ、殺人という異常な行動に出てしまった。
1つ考えられる理由は、社会の中に若者たちに生きる意味を与えられるような共同体がなくなってきているということだろう。社会全体から認められた「勝ち組」になれなくても、なんらかの共同体から受け入れられることで人は「現実の自分」を受け入れられるようになっていく。ところが、容疑者の周りにはそのような共同体が存在しなかった。最後に彼が拠り所として求めたインターネット上の共同体すら彼を受け入れなかった。もしかすると、そういうことだったのかもしれない。
絶望的な孤独や疎外感の中に苦しんでいる人たちをこそ、イエスは救いたいと望んでいる。そのような苦しみを抱えた若者たちの一人にでも、なんとかして福音を伝えたいのだが。