やぎぃの日記(34) 佐藤初女さん講演会①


 昨日、教会の主聖堂で「兵庫・生と死を考える会」主催の講演会があった。講師は、青森県弘前市で「森のイスキア」という施設を運営している佐藤初女さんだった。テレビや映画でも取り上げられ、著作も多数ある方だ。そのせいか講演会は開場前から整理券を配るほどのにぎわいで、300人ほどの人たちが主聖堂を埋め尽くした。教会にこれだけの人が集まったのは、昨年のクリスマス以来のことだ。
 わたしも神学生時代、彼女の『おむすびの祈り』という本を読んで考えさせられたことがある。一度「森のイスキア」を訪ねてみたいと思いつつ機会がないままになっていった。今回、ちょうどわたしたちの教会に来てくださるということだったので、昼食から懇親会まで半日お付き合いさせていただいた。
 「食べることを大切にしています」という言葉から講演会が始まった。青森訛りで発せられたこの一言から、わたしは彼女の話しにぐっと引き寄せられてしまった。内容はとても単純で素朴なのだが、一言一言が体験に裏打ちされた重みを感じさせる。田舎のおばあちゃんが孫に話す話しを聞いているようで、言葉の暖かな響きによって心が癒されていくのを感じた。
 食はいのち。食べることこそいのちの基本。食材を物としてではなく「いのち」として慈しみ、丁寧に料理していくこと。心をこめて作った料理をみんなでおいしく食べれば、家族の不和も心の病も消えてなくなる。彼女のメッセージは、ほとんどこのことに尽きている。野菜の収穫から始まる彼女の食に込めた思いの深さには、驚かされると同時に心を深く揺さぶられる。
 確かに食べるということは人間と世界の直接の交わりであり、食卓を通してわたしたちは全世界と繋がっている。食材からいのちをいただくからこそ、わたしたちは生きていくことができる。このことに気づき、食をとことん大切にして生きている佐藤さんの言葉や行動が人々の心を打つのは、ある意味で当然だろう。
 わたしは料理をすることがほとんどないので、佐藤さんのメッセージを直接に実践することができない。司祭であるわたしが何かをとことん大切にするとすれば、それはミサだろう。ミサに与るということもまた人間と世界の直接の交わりであり、ミサを通してわたしたちは全世界と繋がってる。ミサからいのちをいただくからこそ、わたしたちは生きていくことができる。このことを深く自覚し、佐藤さんが一心不乱に料理をするように、一心不乱にミサを立てることがわたしの使命なのだろう。

おむすびの祈り「森のイスキア」こころの歳時記 (集英社文庫)

おむすびの祈り「森のイスキア」こころの歳時記 (集英社文庫)

※写真の解説…開花直前のモクレンカトリック六甲教会にて。