マザー・テレサに学ぶキリスト教(22)エウカリスチアの秘跡③

第22回エウカリスチアの秘跡
Ⅱ.ミサの成り立ちと意味
4.「感謝の典礼
 「言葉の典礼」に続く「感謝の典礼」は、「最後の晩餐」におけるキリストの言葉と行いの忠実な再現であり、ミサ全体の中心になる部分です。具体的には、供え物の準備から聖体拝領、拝領祈願までが「感謝の典礼」に当たります。
(1)供え物の準備
①パン・水・ブドウ酒の奉納…まずイエスと共に食卓につくための準備として、パン、水、そしてブドウ酒が奉納されます。司祭は、奉納された品々を並べ、食卓を整えます。ここで司祭がブドウ酒に水を加える動作には、ブドウ酒と水が分ち難く一つに結びつくように、わたしたちがキリストの神性に与ることができるようにとの願いが込められています。ブドウ酒はキリストのシンボルであり、水は会衆のシンボルなのです。食卓を整えた後、司祭は「神よ、悔い改めるわたしたちを今日、御心にかなういけにえとしてお受けください」と唱えます。祭壇において捧げられるのは、イエスの肉と血だけではなく、わたしたち自身でもあるのです。さらに、パンに直接触れる前に司祭は「神よわたしの汚れを洗い、悪から清めてください」と唱えながら手を洗い清めます。この動作は、かつて畑の作物や家畜などが奉納されていたころの名残だとも言われています。そういったものを受け取ると手が汚れるので、改めて手を洗う必要があったのです。
②奉納祈願…供え物の準備が整ったところで、司祭と会衆は奉納されたものが神様から受け入れられ、わたしたちに恵みが与えられるようにと祈ります。本来は奉納祈願の間に、「神の栄光と賛美のため、また全教会とわたしたち自身のために司祭の手を通してお捧げするいけにえをお受けください」という祈りがありますが、日本ではこの祈りを省略していいことになっています。
(2)感謝の祈り(奉献文)
①「感謝の祭儀」の頂点…「感謝の祈り」は、キリストの言葉と行いの忠実な再現であり、「感謝の祭儀」としてのミサの頂点になるものです。
②構成要素…「感謝の祈り」は、次の8つの要素から構成されています。
鄯.感謝…特に叙唱において、救いの業全体と季節毎の恵みを神様に感謝します。叙唱というのは、「聖なるかな」の歌の前に司祭が唱える長いお祈りです。教会歴に応じてさまざまな祈りが唱えられていることにお気づきでしょうか。
鄱.応唱…会衆は、司祭の祈りに応えて「聖なるかな」の歌(「感謝の賛歌」)を司祭と共に歌います。この歌は、奉献文の重要な構成要素です。
鄴.聖霊の働きを求める祈り…伝統的に「エピクレーシス」と呼ばれる祈りです。「聖霊によってこの供え物をとおといものにしてください」という司祭の祈りに心を合わせ、聖霊の恵みが下るようにと祈ります。聖霊の恵みがあって初めて、パンとブドウ酒がキリストの体と血になるからです。
鄽.制定句と聖別イエス・キリスト御自身の言葉と行いを再現することで、神にイエスの体と血を犠牲としてお捧げします。イエスの体と血は、神への生贄であると同時に、わたしたちに与えられる「いのちのパン」でもあります。かつて、聖変化は制定句が唱えられたときに起こると考えられていた時期もありましたが、現在の神学では聖変化は奉献文全体が唱えられることによって起こると考えられています。
酈.記念唱…伝統的に「アナムネーシス」と呼ばれる祈りです。「信仰の神秘」という司祭の祈りに続いて、会衆は「主の死を思い、復活をたたえよう。主が来られるまで」と祈ります。ここでわたしたちは、イエスの生涯を改めて思い起こし、最後までイエスの教えを守り続けることを誓うのです。
酛.奉献…記念唱に続いて、キリストの体と血が神に捧げられます。ここでわたしたちは、キリストの体と血に合わせてわたしたちの人生も神様にお捧げします。日々の生活の中で捧げた犠牲を思い起こし、それを神様にお捧げすることも勧められます。感謝のうちに捧げられる犠牲なので、「感謝の生贄」とも呼ばれます。
醃.取り次ぎの祈り…全世界の平和のため、全教会と死者たちのために祈ります。死者たちのために祈るのは、わたしたち「地上の教会」と、死者たちが天国で作っている「天の教会」がミサの中で心を一つにして神を賛美していることを思い出すためでもあります。
醞.結びの栄唱…「キリストによって、キリスト共に、キリストのうちに」神の栄光を賛美することで、奉献文が終わります。
③奉献文の種類
 全世界の教会で共通に使われている奉献文は、4つあります。それぞれに特徴はありますが、構成要素はほとんど同じです。
鄯.第一奉献文…古代のローマ典礼に基づく奉献文です。わたしたちには耳慣れない古代の聖人たちの名前がいくつか読み込まれています。ローマ・カトリック教会の伝統と一致をあらためて思い起こす意向でミサを立てるときなどに用いられます。
鄱.第二奉献文…3世紀にヒュッポリトスという人が書いた『使徒伝承』という本の中に出てくる奉献文に基づいた奉献文です。一番短い奉献文であることから、平日のミサに使われることも多いようです。
鄴.第三奉献文…第二奉献文にその後の教会の伝統を加味して、第二バチカン公会議後に造られた奉献文です。第二奉献文に比べると、ミサの「いけにえ」としての性格が強調されています。主日のミサでは、この奉献文を使うことが勧められています。
鄽.第四奉献文…東方典礼の伝統をくんだ奉献文です。創造の業に始まる神の救いの歴史が強調されることに特徴があります。
(3)交わりの儀
 「主の祈り」から拝領祈願に至る部分を「交わりの儀」と呼びます。
①「主の祈り」…「わたしたちの日ごとの糧を、今日もお与えください」と祈る主の祈りは、聖体拝領に向けて心を準備するために大切な祈りです。「主の祈り」に続けて司祭は副文を唱えます。副文では、人類が罪と悪から解放されることが願われます。副文に続いて会衆は栄唱を唱えます。
②平和の挨拶…教会の交わりと愛のしるしとして、互いに平和の挨拶を交わします。挨拶の仕方は、国と文化によってさまざまです。初代教会では接吻によって挨拶が行われていたようですが、日本ではおじぎをすることで挨拶が行われる場合が多いようです。司祭がすべての会衆と握手して回るような形の挨拶は、司祭中心主義を生み、またミサの連続性を損ねるとの理由からすべきでありません。
③パンの分割…古代においてミサは「パンを裂く式」とも呼ばれていました。Ⅰコリント10章17節で言われている通り、1つのパンを分かち合って食べることで、わたしたちは教会という1つの体に結ばれるのです。ここで、司祭は御体の一部を割って御血に入れますが、これはキリストの体と血の一致を象徴する動作です。
④拝領…司祭の拝領に続いて、会衆が御聖体を拝領します。拝領は、通常たくさんの人が出席するミサでは御体のみで行われます。特別なミサや少人数のミサでは、御体と御血の両方を拝領する場合もあります(両形態での拝領)。司祭だけが御血を拝領することについて不平が出るかもしれませんが、キリストの肉である御体には当然キリストの血が含まれているはずですから、カトリック教会では御体のみの拝領でも御聖体の恵みに完全に与ることができると考えています。
⑤拝領祈願…拝領後、食卓が片づけられます。そして、適切な長さの沈黙をおいてから拝領祈願が行われます。拝領祈願では、御聖体によって養われたわたしたちが、生活の中でその恵みを生かしていくことができることを願う祈りが捧げられます。続く閉祭の中で、わたしたちは祝福を受けてそれぞれの生活の場に派遣されていきますが、そのための準備がこの祈りからすでに始まっていると言えるでしょう。
 ちなみに、ミサという言葉は、派遣を意味するラテン語「ミッシオ」に由来しています。ミサという言葉は、それぞれの生活の場での福音宣教への派遣を意味しているのです。

5.主日の意義
(1)安息日との関係
 現在わたしたちは日曜日に集まってミサをしていますが、初代教会では安息日の前日の夜に「主の晩餐」という集会が行われていたと言われています。つまり、金曜日の晩にミサの原型となる儀式が行われていたのです。それが、しだいにイエス復活の日である「週の初めの日」(使徒行伝20:7)、すなわち日曜日に「パンを裂く式」が行われる形に変化していったようです。
(2)『主の日』
 1998年、教皇ヨハネ・パウロ2世使徒的勧告『主の日』を発表し、復活のキリストと出会う特別な日である日曜日の意義を強調しました。この勧告の中で教皇様は、日曜日のミサに出席しない信者が増えているという現実を深く憂慮し、主日のミサへの出席を強く勧めておられます。