昨日の講演会でもう一つ心に残ったのは、佐藤初女さんが人の話しを聴くときの姿勢だ。ただ自分の身を相手の身と重ね合わせ、共感しながら聴く。聴きながらあれこれ考えず、一心不乱に聴く。そうすれば、必ず相手は自分で答えを見つけることができる。それが、初女さんの聴く姿勢だ。
「非指示的カウンセリング」と言ってしまえばそれまでだが、初女さんの聴く姿勢にはそのような学術用語では説明しつくせない何かがあるように思う。初女さんの前に座ればそれだけで何かが起こる、初女さんと出会うこと自体が癒しになる、彼女には何かそのような力があるようだ。87歳という年齢から生まれる落ち着きや安定感だけでなく、彼女の話し方や動きには何か人を安心させるものが含まれている。
それはおそらく、これまでに無数の人々と関わりあう中で初女さん自身が多くの苦しみに出会い、また人々の苦しみを自分の苦しみとして苦しんできたことから生まれた共感の力だろう。おそらく、彼女はどんな悲しみの中にいる人がやって来ても、その人の身と自分の身を即座に重ね合わせることができるのだと思う。幾星霜を経て育った森の巨木は存在そのものによってわたしたちに多くのことを語り、わたしたちの心をいやしてくれる。それと同じような力が、初女さんにはあるのだろう。
司祭にも、共感する力が必要だ。残念ながら、人生経験に乏しく想像力にも乏しいわたしは、相手の状況を頭で考えて頭でアドバイスしてしまうことが多い。説教を考えるときでもそうだ。聖書の登場人物の苦しみに深く共感することができないので、どうしても理屈っぽい説教をしてしまう。人生に迷い、苦しんでいる人たちを見て、はらわたが断たれるほどの苦しみを感じたというイエスのように、イエスの愛を実践している佐藤初女さんのように、人の苦しみを自分のこととして苦しめる司祭になりたいものだと思う。

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