やぎぃの日記(40) 典礼聖歌の練習


 教会で典礼聖歌の研修会があった。大阪大司教区の有志の信者さんたち集まって、年に2回行っている研修会だそうだ。教区中から150人くらいの人たちが集まっていた。午前中は追悼ミサがあったりして参加できなかったのだが、午後だけ参加させてもらい、最後に歌ミサを甲子園教会の松本武三神父様と一緒に共同司式させていただいた。
 朝から体調もよくなかったし、実はあまり積極的に参加したわけではなかったのだが、参加してみて驚いた。歌われていた聖歌の一つ一つが深く心に沁みこみ、心を揺さぶったからだ。これが普段歌っているのと同じ聖歌だろうかと思うくらいだった。東京から来ておられたボイストレーナーの方の指導もすばらしかった。彼の指導で、ただでさえ素晴らしい歌声が、さらにどんどんよくなっていくのが分かった。
 練習によって磨かれた美しい聖歌をちりばめた最後の歌ミサは、まさに恵みのひと時だった。松本神父様がお説教の中で、「歌が今、生まれてきたようだ」と言っておられたが、まさにそんな感じだった。何十年か前に作曲され譜面に残された歌に、集まった人々によって今、新たな命が与えられたのだ。普段聴きなれた一曲、一曲がほんとうにまるで違う歌のように聞こえた。一曲一曲が、感動と喜び、感謝に満たされた力強い祈りとして天に立ち昇っていくのがわかった。
 美しい歌声の響きは聖霊の力そのものだ。会衆席から押し寄せてくる聖霊の力に満たされながら、一言一言に心をこめて奉献文を歌うことができた。テゼの祈りのときにも感じたことだが、歌による賛美は想像を超えるほど大きな力を秘めているようだ。神を賛美する声が歌になったとき、その歌はたくさんの人々の思いと感情を一つに紡ぎ上げながら天に舞い上っていく。その祈りは天に届き、歌っている人々の心に大きな恵みが天から惜しみなく注がれる。歌ミサでは、そんなことが起こりうる様だ。典礼聖歌が秘めた計り知れないほど大きな力を、改めて感じさせられた一日だった。
※写真の解説…満開のシャクナゲ。森林植物園にて。