カルカッタ報告(59)8月28日朝のミサ


 朝のミサは、交通渋滞のために司式司祭が遅れた関係で10分ほど遅く始まった。司式司祭はドミニコ会の神父さんだった。わたしは昨日までと同じく共同司式をさせてもらい、聖書の朗読だけを担当させてもらった。
 ミサのあいだ、あの赤ん坊の顔が脳裏から離れなかった。奉献文の途中、無力なわたしをすべてお捧げしますから、どうか彼らに恵みをお与えくださいという気持ちでわたしはカリスを天に捧げた。あの赤ん坊、一緒に寝ていた兄弟たち、お母さん、そしてカルカッタの路上で寝ているすべての人の上に、聖霊の恵みが豊かに注がれますようにと心の底から祈らずにいられなかった。
 A.J.C.ボース・ロードの喧騒が激しさを増していくなか、ミサは40分ほどで終わった。ミサの後、「神の愛の宣教者会」のシスターたちは長い祈りをする。これはマザーが生きていたころからずっと続いているものだ。その祈りに、わたしも祭服を脱いでから参加した。その祈りはニューマン枢機卿の「キリストの輝き」の祈りに始まり、アッシジのフランシスコの「平和の祈り」、聖イグナチオの「アニマ・クリスティ」の祈りなどを唱えた後、マザーの作った次の祈りが唱えられる。
「主よ、わたしたちを、貧困と飢えの中に生き、そして死んでいく世界中の人々に仕えるのにふさわしい者としてください。
 わたしたちの手をとおして、今日、彼らに日々の糧をお与えください。
 わたしたちの思いやりに満ちた愛によって、彼らに平和と喜びをお与えください。」

 今日1日の奉仕は、すべてわたしたちを通して神がなさることであって、自分たちがするわけではない。そのことを胸に刻んで、ただ神の恵みを願う祈りだ。無力な自分であっても、貧しい人たちのために何かをしたいというマザーの思いがこの祈りから溢れだしているように感じる。今日は、この祈りがいつもより深く胸に響いた。
※写真の解説…道端で寝ている人々。