カルカッタ報告(9)8月25日ゴメス家


 「シシュ・ババン」を出たあと、A.J.C.ボースロードをシアルダー駅の方に向かってさらに歩いて行った。お昼までに、マザーにゆかりの場所をあと何箇所か周る予定だった。
 5分ほど歩くと左手に最初の目的地、聖テレジア教会が見えてきた。昔は赤レンガ造りの古びた建物だったが、建て替えられてすっかりきれいになっていたので驚いた。色だけは昔と同じ赤だった。
 アビラの聖テレジアに捧げられたこの教会は、マザー・テレサと深い縁がある。マザーがロレット修道会を出て、マイケル・ゴメス氏の家に間借りしながら「神の愛の宣教者会」を創立したころ、毎日通っていたのがこの教会だ。マザーの終世誓願式や、最初のシスターたちの初誓願式もこの教会で行われた。新しくなったこの教会の壁には、そのことを記念するレリーフが掛けられていた。メンバーの1人は、この教会が自分の洗礼名の聖人と同じ名前だということでとても感激していた。
 聖テレジア教会を過ぎてさらに歩き、レーニン通りを渡るとクリーク・レーンと呼ばれる路地にさしかかる。1949年から1953年までマザーが間借りしていたゴメス家がある通りだ。古き良きカルカッタの面影を残したその道をしばらく歩いていくと、左手に3階建ての懐かしい建物が見えてきた。昔のままの姿のゴメス家だ。
 14年前わたしがカルカッタにいたころは、まだマイケル・ゴメス氏が生きていた。草創期の「神の宣教者会」を物心両面で支えた人だ。ブラザーたちと一緒に彼の家を訪ね、マザーの昔の様子などを聞かせてもらったのが縁で、そのあと何回かゴメスさんと話したことがある。見るからに善良そうな、やさしいおじいさんだった。わたしに日本のことを熱心にたずねる彼の姿を、今でもはっきりと覚えている。
 今は代が代わって、マイケル・ゴメス氏の息子の1人、リチャード・ゴメスさん一家が住んでいた。わたしたちが事情を話すと、喜んで迎え入れてくれた。ただ、残念ながら3階のマザーの住んでいた部屋は別の兄弟が管理しているということで、見ることができなかった。リチャードさんは、今貸し間をしているそうで、日本からもしカルカッタに長期でボランティアに来る人がいたら紹介してくださいとのことだった。とてもすばらしい提案だ。マザーがかつて住んでいた家に住みながら、ボランティアができるなんてすばらしい。もし誰か長期でカルカッタに来るという人がいたら、ぜひ紹介したいと思う。
 ゴメス家を出て、レーニン通りまで戻り、こんどはエンタリー方向に向かって歩き始めた。次の目的地は、マザーが教師として長年働いていたロレット修道会の学校だ。わたしたちはこれから、マザーの足跡を時間遡りながら辿っていくことになる。




※写真の解説…1枚目、聖テレジア教会。2枚目、ゴメス家のあるクリーク・レーン。3枚目、ゴメス家。