カルカッタ報告(10)8月25日街頭にて


 ゴメス家を出てA.J.C.ボースロードまで戻り、少し道を引き返してレーニン通りを左に曲がった。エンタリー方面に続く道だ。この道を15分ほどまっすぐ行き、線路をまたぐ高架橋を渡ったところに、マザーが教師として17年近く働いたロレット修道会の学校がある。
 車の騒音や人ごみにまみれながらカルカッタの道を歩いていると、それだけでも深い感慨がある。排気ガスを吸い込み、香辛料のにおいを嗅ぎ、車にクラクションを鳴らされながら歩いているうちに、今自分はカルカッタにいるのだ、この両足で確かにカルカッタの街を歩いているのだという実感が少しずつ湧き上がってきて、見るものすべてに心を揺さぶられた。
 街の様子は、全体として見たときにはあまり昔と変わっていない。わたしがいた14年前と同じ建物があちこちでまだ使われているし、歩道の舗装があちこちではがれていること、ゴミがあちこちに散らばっていることなどはほとんど昔と同じだ。ただ、今日歩いていて驚いたのは、昔よりも道端の物売りの数が増えている。特にA.J.C.ボースロードの道端では、古着や日常雑貨などを、地面ひいたビニールシートの上に無造作に並べて売っている人々の姿をたびたび見かけた。高価なものはないが、安価なプラスチック製品、金属製品、衣類などが道端に大量に並んでいたのが印象的だった。人口が増えたせいか、流通している物品の量も昔より増えているようだ。
 さらに驚いたことには、マザー・ハウスから10分ほど行ったところに、ガラスのショーウィンドウにヨーロッパ風の高価なポロシャツ、綿パンなどを並べた2階建てのこぎれいな洋品店ができていた。14年前のカルカッタではありえなかったことだ。カルカッタが着実に変わってきているということが、わずかに感じられた。
 そうやって歩いているうちに、参加者の1人、Mさんが、道端に並べられた古着の1着に目をとめた。水色のインド服(クルター・パジャマー)だ。わたしがカルカッタ到着早々、軽快なインド服に着替えたのを見て、自分も買おうと思ったようだ。しばらく値引き交渉をして、50ルピーほどで話しがまとまった。1ルピーは今2円だから、日本円で100円ということになる。なかなか悪くない買い物だと思う。こうやって露店のおじさんと値引き交渉をするのも、カルカッタになじむための一つの欠かせないプロセスだ。
 ロレットの学校に向かう通りの道端では、たくさんの家族が路上に竹やビニールなどで簡単な家を作って生活しているのを見かけた。これも昔と同じだ。1人のお母さんが薪で火を起こし、小さな鍋でカレーを煮ている様子を見たとき、マザーの語っていた一つの話しを思い出した。
 活動を始めたばかりのころ、マザーはそうやって路上で生活している子どもを不憫に思い、親の了解を得てその中の1人を自分の家に連れて帰って世話を始めた。ところが、その子どもすぐに路上に戻ってしまった。マザーが様子を見に行くと、その子どもは母親が作った貧しい料理をうれしそうに食べていたという。そのときマザーは「子どもにとっては、どんなに貧しい家であっても、母親がいる場所こそ一番いい家なのだ」と悟ったそうだ。路上に建てられた竹とビニールの粗末な家であっても、母親がいる限りそこが子どもたちにとっては最高の家なのかもしれない。
 そんなことを思いながら歩いているうちに、見覚えのある高架橋に出た。ここを渡ればもうロレットの学校の正門だ。

※写真の解説…1枚目、A.J.C.ボースロードにて。買い物をするMさん。2枚目、ロレットの学校の近くの高架橋から見た線路。