カルカッタ報告(15)8月25日モティジル③


 残念ながら学校の入口は固く閉ざされていた。ちょうど休みの日だったらしい。以前にもこういうことがあったが、そのときは学校の用務員のような仕事を任されている近所の人に開けてもらうことができた。今回もわたしたちの姿を見て集まってきた近所の人たちに、誰か開けてくれないかと身振りで頼むと、用務員さんを呼びに行ってくれた。
 しばらくして、サリーを来た50代くらいの女性がやってきて入口のドアを開けてくれた。スラムの人たちは本当に親切だ。彼らとのこのような触れ合いを体験すると、空港や駅にいる悪質なタクシードライバーや、市場の強引な客引きなどだけでカルカッタの人を判断するのはまったく見当外れだということがわかる。
 学校の中は、それほど広くない。というよりも、15m四方くらいの中庭の周りにロの字型に建物が建てられただけのかなり小さな学校だ。1948年にマザーが始めた青空教室に比べればずいぶん立派だが、「神の愛の宣教者会」らしく必要最低限のものだけしかない質素な建物だと思う。子どもたちがいれば教室の中にも入れるのだが、まあこの場所に立ったというだけでも十分意味があるだろう。
 中庭に立って感慨にふけっている間に、また激しい雨が降り始めたので屋根の下に避難した。ひさしから滝のように流れ落ちる雨水を見ながら、用務員の女性が「毎日こんな雨が降るの。雨のたびにわたしの家は膝の上まで水に浸かるのよ」とぼやいていた。
 6月から9月くらいまではカルカッタの雨季だ。わたしも以前体験したが、この時期は毎日1度こんな激しい雨が降る。1日中降り続くというようなことはまれだが、降るともう天の底が抜けたかのような極端な降り方をする。下水道が整備されていないカルカッタの街では、そのたびごとにあちこちで洪水が発生する。わたしがいたときは、街の最も中心的な通りであるチョーロンギー通りでさえすぐに冠水した。ボランティアが泊っている安宿などでも、ひどいところは腰まで水がくると聞いたことがある。
 幸い、20分ほどで激しい雨は止んだ。だが、2回の雨宿りで1時間ほどロスしたため、もう12時をまわっている。これからホテルに戻って食事をし、そのあと午後2時からマザーの墓前でミサを立てることになっているので、かなりぎりぎりの時間だ。用務員さんにお礼を言って、わたしたちはタクシーを拾える大通りまで急いで戻った。途中、高校生くらいの子どもが携帯電話のカメラでわたしたちの姿を写していたのが印象的だった。こんなところにまで、携帯電話の写メールが入りこんできたのだ。
 大通りまで戻ってまた一つの問題にぶつかった。日本でもそうかもしれないが、雨が降るとある程度豊かな人たちが一斉にタクシーを拾い始めるのでタクシーがなかなか捕まらないのだ。タクシー自体は何台も通るのだが、どの車もすでに人が乗っている。いらいらしながら待っていると、ロレットに通う子どもを迎えに来たらしい30代くらいの男性が、すばやくタクシーを1台止めてくれた。幸い空車がもう1台続けてきたので、わたしたちはなんとか無事にホテルに帰ることができた。スラム街では、人々の親切に助けられっぱなしだ。

※写真の解説…1枚目、マザーが青空教室を開いた広場。2枚目、「神の愛の宣教者会」の学校「ニルマル・モティジル・スクール」。