カルカッタ報告(21)8月25日Fr.アベロ


 わたしたちが食事を食べ終わったころ、約束通りアベロ神父がやってきた。彼は、わたしたちのホテルから15分ほど歩いたところにある聖ザビエル・カレッジの共同体に住んでいる。食後の散歩代わりにわたしたちのホテルを訪ねてくれたのだ。
 15年前も、彼は同じところに住んで毎週マザー・ハウスにミサを立てに来ていた。カナダから来たイエズス会の宣教師で、とても厳しく清貧を守っている人だという印象があった。マザーも彼を信頼しており、彼に何かを相談している姿をたびたび見たことがある。
 彼の清貧は外観から明らかにわかった。彼が着ている服は、いつもたくさんの継ぎが当たった古ぼけた服だったからだ。何十年着ているのかわからないほどだ。日本のイエズス会の神父さんでも、入会前に母親に買ってもらったというような服を30年も40年も着ている人がまれにいるが、彼の場合はその域さえも越えている。
 1994年の11月、マザーに代母を頼んで堅信式を受けることになったとき、マザーはわたしに式の前に必ず「ゆるしの秘跡」を受けるようにと言った。そのときカルカッタの神父さんたちをよく知らなかったわたしは、マザーの紹介で彼を聖ザビエル・カレッジに訪ね、「ゆるしの秘跡」を授けてもらった。もう記憶がだいぶあいまいになってきたが、司祭職の道を選ぶかどうかを迷っていたころにも何回か彼に相談したことがあると思う。イエズス会の第三修練の一環としてカルカッタに送られてきた柳田神父さんが彼と同じ共同体で生活していたので、3人でカルカッタの郊外で行われた大きな司教会議を見学しに行ったこともある。
 今回わたしたちの前に現れたアベロ神父さんは、昔よりは幾分かましな服を着ていた。もちろん高価なものではないが、きちんとアイロンのかかった清潔な服だ。さすがに昔着ていた服はもう破れたりして使い物にならなくなったのだろう。わたしたちは、チャイを一緒に飲みながら彼の話を聞くことにした。
 経済的に豊かになった南インドで召命が減ってきていること、それでもイエズス会や「神の愛の宣教者会」にはまだまだ召命が多いことなどいろいろ興味深い話が多かったが、わたしが彼に一番聞きたかったのはマザーの「霊的な闇」のことだった。アベロ神父はマザーの最後の10年間ほどを、彼女の傍で司祭として過ごしている。何か気づくことはなかったのか、彼女の「霊的な闇」をどう理解しているのかということを彼に聞いてみたかった。
 マザーの告解を聞いたり、霊的な相談に乗ったりしていたはずの彼も、やはり生前はマザーの中に「霊的な闇」があることに気づかなかったという。彼女はわたしたちの前では、一貫して確信に満ちた頼もしい「マザー」であり続けたのだ。聖人は多くの場合そのような闇を体験するし、彼女もその例外ではなかったのだろう。だが、わたしたちにとって彼女はいつも愛とぬくもり、喜び、力の源だった。「その事実がすべてを語っているのではないか」、とアベロ神父は言った。
 マザー自身は神の恵みを実感できず、霊的な渇きの中で苦しんでいた。しかし、その彼女を通してわたしたちは神の愛、ぬくもり、喜び、力を与えられた。彼女が、わたしたちにとって神の恵みの大いなる通路だったことは疑いがない。彼女の苦しみを通してわたしたちに神の恵みが惜しみなく注がれた、彼女の苦しみがわたしたちにとって救いの十字架になった、きっとそういうことなのだろうとアベロ神父の話を聞きながらわたしは思った。マザーは、イエスとまったく同じような仕方でわたしたちに恵みを与えてくれたのだ。
 1時間ほど話して、アベロ神父は「明日もまた早くからミサがあるから」と言って修道院に帰って行った。わたしたちもそれぞれ部屋に戻ってベッドに入ることにした。カルカッタに着いて1日目からマザーが働いていた学校やらスラム街やら街の最深部にまで連れ込まれて、みんな疲れきっている。明日の朝6時からマザー・ハウスで行われるマザー・テレサ生誕99年ミサに、みんな元気で出られるといいのだが。
★これでようやく1日目が終わりました。次回から2日目、8月26日に入っていきます。皆様の感想などを聞かせていただければ幸いです。
※写真の解説…カルカッタ名物の路面電車