カルカッタ報告(23)8月26日ヘンリー大司教①


 ミサの後、シスターたちが香部屋に朝食を用意してくれた。マザー・ハウスでは、ミサを立てた司祭にささやかな朝食がふるまわれるのだ。ヘンリー師とデュアルテ神父、そしてわたしの3人で食卓についた。
 ヘンリー師を前にして緊張したわたしは、緊張を解くためにまず「マザー・テレサ大司教様と一緒に食事できるなんて光栄です」と挨拶した。普通、司教は任されている教区の名前とセットで「東京の大司教」(archbishop of Tokyo)というように呼ばれるが、ヘンリー師に限っては「カルカッタ大司教」(archbishop of Calcutta)ではなく「マザー・テレサ大司教」(archbishop of Mother Teresa)という呼び名が一般的だったので、そのことを言ったのだ。するとヘンリー師は「そう、わたしがマザー・テレサ大司教です」とうれしそうに笑いながら答えた。
 マザー自身は、ヘンリー師のことを「わたしの息子」(my son)と呼んでいた。2人の年齢差は16歳くらいなので年齢的にいうと息子というのはやや無理があるが、マザーは彼を自分の子どものようにかわいがり、ヘンリー師もマザーを母のように慕っていた。
 2002年に教区長を引退して(着任は1985年)、今は老人ホームに住みながら本を書いたり、信徒の霊的な指導をしたりしているそうだ。今年83歳になったというが、背筋もまっすぐに延び、声も15年前と変わらないくらい力強い。まだまだ現役で働けそうなくらい元気な様子だった。その印象を彼に伝え、どうしてそんなに元気なんですかと尋ねると「それは、マザーから病気になることを禁じられているからだよ」という。
 今から20年ほど前、彼は香港での会議出席中に心臓発作を起こしたことがある。そのとき、マザーがすぐに電報をよこしたのだが、その内容は「一体誰が、あなたに病気になることを許可したのですか」というものだったそうだ。マザーらしいユーモアだが、ヘンリー師はそれ以来マザーに許可をもらわずに勝手に病気になることがないよう心がけているという。
 そんなことを話しているうちに、Sr.プレマが香部屋に挨拶にやってきてわたしたちの食卓に加わった。ヘンリー師がマザー・ハウスに来るのは、本当に久しぶりのことだったらしい。ヘンリー師は、わたしたちにマザーの愉快なエピソードをいくつか話してくれた。マザーと一緒にバチカンに行った時のことだ。他の司教さんたちから一斉に「おお、マザー・テレサマザー・テレサ大司教」と言われて照れくさかったこと、教皇様の前に出る時はマザーの後ろに席が与えられて複雑な気持ちだったことなどを、ユーモアたっぷりに話してくれる。聞いていたわたしたちは笑いっぱなしだった。
 中でも傑作だったのは、マザーがバチカンで自分の映画を見たときの話だ。マザーの活動を描いた映画が、教皇様を初めバチカンの高官たちのために上映されることになり、マザーとヘンリー大司教もその席に招かれた。マザーは一体どんな顔で自分の映画を見るのだろうとヘンリー師が横からうかがっていると、マザーは自分の活動の様子を見ながら感に堪えないように「うーん、いいわね」としきりにうなずき、隣に座っている大司教の方を見て「そうじゃありませんか?」と同意を求めたという。とてもマザーらしい話だ。マザーは、自分が「マザー・テレサ」であることをどこか突き放して客観的に見ることがあった。世界的に有名な聖女「マザー・テレサ」と自分は別の人物だとでも思っていたらしい。
※写真の解説…1995年にヘンリー師と一緒に撮ってもらった写真。撮影、柳田敏洋神父。