講話「しあわせになるために必要なもの」

講話「しあわせになるために必要なもの」
東日本大震災を通して考えたことを小学生たちに説明するために、スライドショーを作ってみました。

1.東日本大震災が起きたとき、皆さんはどこにいましたか?わたしは、実は日本にいませんでした。インドのカルカッタという街にいたのです。昔、マザー・テレサというとてもえらい人が、貧しい人たちのために働いていた街です。わたしは、むかしマザー・テレサにお世話になったので、今回は、その恩返しにシスターたちのお手伝いに行ったのです。

2.3月11日、わたしはカルカッタで大震災のニュースを聞きました。大地震の直後、マザー・テレサの三代目の跡継ぎである、Sr.プレマはマザー・テレサのお墓の前に、カルカッタで働いている日本人のボランティアたちを集めてこう話しました。
「今回の大震災によって、日本はもしかすると元の通り豊かな国にはならないかもしれません。でも、安心してください。皆さんは、このインドで、貧しくてもほほえみを忘れず、幸せに暮らしている人たちがたくさんいるのを見ましたよね。しあわせになるために、たくさんのものは必要ないのです。」

3.日本に帰って来て、東日本の被災地に行ったとき、わたしはこの言葉が本当だなあと思う出来事に出会いました。牡鹿半島の小さな村に行ったときのことです。

4.仮設住宅の一つを訪ねたとき、笑顔がとても素敵な一人暮らしのおばあさんと出会いました。長いあいだ看護師として働いていたのだけれど、おじいさんは先に天国に行き、ずっと暮らしていた家も、家具や大事なたくさんのものと一緒にぜんぶ津波にながされてしまったとのこと。でも、おばあさんは、そんな話もにこにこと素敵な笑顔を浮かべながら話すのです。わたしは思わず、「全部なくなってしまって、悲しくないのですか?」とおばあさんに尋ねました。すると、おばあさんはテーブルの上に置かれた一冊の本を手にとって言ったのです。「わたしには、この聖書さえあれば十分なんです。ちっとも悲しいとは思いません。」

5.聖書の中には、イエス様がいてくださいます。おばあさんは、イエス様さえ一緒にいてくれれば何も悲しいことなんかない、そう言ったのです。わたしは、この言葉を聞いてとても感動しました。大きな家がなくても、便利な電気製品やぜいたくな服がなくても、このおばあさんは幸せでした。Sr.プレマが言った通り「しあわせになるために、たくさんのものは必要ない」のです。イエス様さえいてくれれば、それだけで十分幸せになれるのです。

6.福島で原発の事故が起こってから、原発は本当に必要なのかということが大きな話題になっています。あんな大事故が起こったのだから、当然のことですね。原発が必要だという人たちは、日本人が幸せになるためには、電気をどんどん作って工場を動かし、お金をどんどん稼がないといけないと言います。でも、本当にそうでしょうか。日本の教会の代表者である司教様たちは、そうではないと考えています。むしろ、放射能によって人間の命を脅かし、自然を破壊する原発は、わたしたちをしあわせにしないのです。今こそわたしたちはたくさんの物を求めない生活、さっきのおばあさんのように少ない物で満足して、イエス様と一緒にしあわせに生きる生活を始めるべきだと司教様たちは言っています。「しあわせになるために、たくさんのものは必要ない」のです。

7.最後に、フィリピンのごみの山の近くにあるスラム街(貧しい人たちがたくさん住んでいるところ)で撮ってきた写真を見せたいと思います。写真に写った子どもたちの様子を見たら「しあわせになるために、たくさんのものは必要ない」ということがよくわかると思います。

8.わたしたちがしあわせになるために、本当に必要なものはなんでしょう。この機会に、一人ひとりがよく考えてみてください。そして、みんなで一緒に新しい日本、誰もがしあわせに生きられる日本を作ってきましょう。