カルカッタ報告(39)8月27日ハンセン氏病センター②


 周りに座った日本人たちに簡単な通訳をしながら、その話を聞いた。ブラザーが一番強調していたのは、ここでハンセン氏病に感染する可能性は限りなく0に近いということだった。ハンセン氏病の病原菌はとても感染力が弱いし、ここにいる患者さんたちのほんどは十分な治療を受けた無菌状態の患者さんたちだからだ。完治しているにも関わらず彼らがこのセンターでまだ生活しているのは、顔や手足などに病の痕跡が残ってしまい、一般社会に復帰するのが困難なためだとのことだった。そんな患者さんが、今このセンターに200人ほどいるそうだ。それに、周辺の町や村から通って治療を受けている患者さんが数百人いるという。
 会議室での説明の後、わたしたちは鉄道の線路を渡って患者さんたちの住むセンターに向かった。線路を渡るといっても、別に踏切があるわけではない。電車が途切れたときを見計らい、線路をまたいで渡っていくということだ。日本では危なくて誰もそんなことをしないし、警察に捕まってしまうような行為だが、インドではごく一般的にみんな線路を渡ったり歩いたりしている。
 電車が途切れるのを待っているあいだ、案内についてくれているブラザーと日本で働いていたブラザーたちの話をした。わたしはイエズス会に入る前、2年間くらい毎週、東京の山谷にあるブラザーたちの家でホームレスの人たちのための炊き出しを手伝っていたことがある。その頃に知り合ったブラザーたちの消息を彼に尋ねたのだ。小さな修道会なのでみな知り合いらしく、あの人は今ここでこうしているということをすぐに教えてくれた。
 何人かのブラザーたちは、残念ながら会を離れたということだった。白いサリーを着てただひたすら貧しい人たちのために働くシスターたちよりもアイデンティティーの確認が難しいのが、ブラザーたちの悩みだそうだ。彼らは制服もないし、行動の自由が広く認められているので、それが逆に何のために自分がブラザーでなければならないのかというアイデンティティーの危機を生み出すらしい。難しいところだと思う。
※写真の解説…糸を紡ぐ患者さん。1994年撮影。