マザー・テレサに学ぶキリスト教(14)マリアとは誰か②〜教会の伝統の中で

第14回マリアとは誰か②〜教会の伝統の中で
Ⅱ.教会の伝統の中で
 前回は聖書に描かれたマリアの姿を細かく確認しました。ですが、教会の伝統の中には、マリアについて聖書に書かれている以上のことが伝えられています。今回は、教会の伝統の中でマリアがどのように扱われてきたかを学んでいきます。
1.教会の伝統におけるマリア
(1)「神の母」
 マリアを「神の母」として崇敬する伝統は、古代の教会からありました。しかし、この称号に対して5世紀頃、一部の神学者たちから疑問の声が上がりました。有名な「テオ・トコス(神の母)論争」と呼ばれる教義論争です。
 この論争の中でコンスタンティノポリスのネストリウスは、この称号はキリストが神であることのみを強調するものでふさわしくない。マリアは「神の母」ではなく「キリストの母」だと主張しました。
 それに対してアレクサンドリアのキュリロスは、イエスが「完全な神であると同時に完全な人間」という基本的な理解に基づくなら、マリアは「キリストの母」であると同時に「神の母」であるとも言えると主張しました。
 この問題を解決するため431年エフェソ公会議が招集され、結果としてネストリウス派は論争に破れて東方へ去りました。この異端派が中国に広まったキリスト教景教です。この論争を踏まえるならば、マリアを「神の母」と呼ぶ場合、マリア自身が神でないことはもちろん、イエスが完全な人間であったことも忘れてはいけないと言えます。
 マザー・テレサは次のように言っています。
「マリアにおいて最初の聖餐式が行われたと言えます。マリアに神である御子が与えられ、マリアは最初の祭壇になったのです。『これはわたしの体』と最も真実に言えるのはマリアです。彼女がイエスに自分身体と力、彼女の全存在を差し出したからこそ、キリストは受肉することができたのです。」
 自分の全てを差し出すことで「完全な神であると同時に完全な人間」であるキリストの受肉を可能にしたマリアは、人間イエス・キリストの母であると同時に、神であるイエス・キリストの母であるとも言えるでしょう。
(2)「終生乙女」
 マリアは、終生にわたって罪の汚れを知らない乙女であり続けたという信心を表す称号です。具体的には、以下の2つのことを意味しています。
①創世記3章の出産の傷と苦しみから除外され、出産によっても乙女であることを損なわれなかった。
②出産後も男性と交わらず、乙女であり続けた。
 これは、医学的には説明困難な出来事です。ですが、マリアにおいて完全に罪から解放された人類の新しい歴史が始まったことを示す奇跡としてならば理解できるでしょう。
 勘違いしてはいけないのは、この信心は「マリアが乙女だったから偉い」という意味ではないということです。性交渉自体は汚れたものではないと現代の神学では考えています。マリアの偉大さは、神の御旨に従って情欲の誘惑を退け、全生涯を乙女として神に捧げたという点にあります。
(3)「教会の母」
 ヨハネ福音書におけるイエスの宣言(19:26-27)に基づく信心です。マリアは全教会の母であると同時に、教会の模範だと考えられています。この理解の中で、神学の一分野としてのマリア論は伝統的に教会論の中で語られてきました。イエスは太陽、マリアと教会は月だといわれることもあります。それ自体は光らないけれども、イエスの光を浴びて輝くからです。
(4)「無原罪の御宿り」
 「無原罪の御宿り」の教義は、近代に入って教皇から「不可謬の教義」として宣言されたものです。「不可謬」とは文字通り、間違い得ないということ、つまり絶対に正しいということです。
①教義化
 1854年12月8日、ピオ9世によって教義宣言されました。
②内容
 その内容は、「マリアは原罪の汚れに染まらず生まれた」ということです。マリアは、ヨアキムとアンナから生まれたとき、情欲の汚れを引き継がなかったのです。マリアは終世完全に罪から免れていたという信心を徹底するなら、マリアは原罪からも免れていたと考えるのは当然でしょう。
③根拠
 神学的な根拠は以下の通りです。
鄯.神は特別の恩恵によって原罪に例外を設けることができる。
鄱.自力で救われたということではなく、キリストによる救いに予めあずかった。
鄴.「神の母」、「教会の母」となるために、マリアは全生涯において罪から守られていた。
(5)「被昇天」
 「被昇天」の教義も、近代に入って教皇から「不可謬の教義」として宣言されたものです。
①教義化
1950年11月1日、ピオ12世によって教義宣言されました。
②内容
 その内容は、「マリアは死後、体も魂も天の栄光に挙げられた」ということです。イエスは自力で昇天したが、マリアは神の力によって昇天させられたという意味で、被昇天という言葉が使われています。
 天に挙げられたマリアが、戴冠して天国の女王になったという「天の元后」の信心は、この信心が発展したものだと言えるでしょう。
③根拠
 神学的な根拠は以下の通りです。
鄯.イエスの復活によって、肉体が天の栄光に挙げられる可能性が開かれた。
鄱.マリアは生前から天上的な至福を生きていた。
④意義
 この教義は大きな論争を呼びましたが、以下のような積極的な意味があると言われています。
鄯.人間の肉体は汚れたものではなく、天の栄光に挙げられるほどの価値を持ったものであることが明らかにされた。
鄱.「神の御子」だけでなく、人間マリアにおいて完全な救いが実現したことは、人類に大きな希望を与える。
(6)「共贖者・共同仲介者」
 最後にご紹介する「共贖者・共同仲介者」という信心は、まだ教義宣言されていませんが、教会において古くから信じられている教えです。マリアが共贖者であるとは、マリアがイエスと共に人類を罪から贖ったということを意味し、マリアが共同仲介者であるとは、マリアがイエスと共に救いを仲介したということを意味しています。マリアとイエスの関係は、それほどまでに親密であり、不可分だということです。マザー・テレサはこの信心について次のように語っています。
「マリアはイエスをわたしたちに下さいました。喜んでイエスの母になることで、マリアはイエスと共に人類の救いの仲介者となったのです。」
 この信心について、前教皇の時代に教義化の動きが盛り上がりましたが、まだ実現していません。プロテスタント諸教派との一致を視野に入れた、総合的な判断が必要になるでしょう。

2.ヨセフの立場はどうなるのか?
 これまでマリアのことばかり話してきましたが、マリアの夫であり、イエスの養父であるヨセフの立場はどうなるのでしょうか。マザー・テレサは次のように言っています。
「もしわたしたちの生活を、ナザレでのイエスとマリア、ヨセフの生活のようにすることができれば、わたしたちの家庭をもう一つのナザレにすることができれば、平和と喜びが世界中に広がるでしょう。」
 ヨセフがいたからこそ、ナザレでの家庭生活が成立したことは疑いがありません。ヨセフがいなければ、イエスは困難をくぐりぬけることも、家庭のぬくもりの中で育つこともできなかったでしょう。
 自分を捨て、神の御旨に従ってイエスを育てたという点では、ヨセフにもマリアと同じ功績が帰せられるべきだと思います。ヨセフも、マリアに準じて教会の信仰の模範なのです。

3.マリアの御出現について
 カトリック教会には、マリアが世界中のあちこちに出現して、言葉を語ったり涙を流したり奇跡を行ったりしているという信心があります。ここでは、そのうち教会から公認されている有名な出現を3つだけ紹介します。
(1)グアダルーペ
 1531年、メキシコ・シティーに向かって歩いていた小作人、ホアン・ディエゴの前にマリアが出現しました。出現の証拠として、マリアはディエゴのマントに自分の姿を絵として残したと言われています。1754年、教皇ベネディクト14世はグアダルーペで出現したマリアをメキシコの保護者として宣言しました。
(2)ルルド
 1858年、「無原罪の御宿り」の教義宣言の直後、フランスのルルド小作人の娘、ベルナデッタに聖母が出現しました。1862年、ピオ12世はこの出現を公認しました。出現の後、マリアがベルナデッタに顔を洗うよう指示した泉の水によってたくさんの治癒が起こったと言われています。そのうち、バチカンによって公式に認定された奇跡が67件あります。今や、年間200万人以上の人々が訪れる大巡礼地です。
(3)ファティマ
 ロシア革命が勃発した1917年、ポルトガルのファティマで、ルシア、ヤシンタ、フランシスコの3人の子どもの前にロザリオを手に持った「ロザリオの聖母」が出現しました。出現の最後の日、7万人の群衆の前で太陽が異常な色や回転を示す「太陽の奇跡」が起こったことは有名です。