カルカッタ報告(54)8月27日ハウラー駅


 船着き場から、目の前にあるハウラー駅の方に歩いて行った。外壁を完全に修理したらしく、まるで見違えるほどの美しさになっていた。これが20世紀の初頭に建てられたものとは信じられないほどだ。駅の前に並んでいるタクシーや車もみな小ぎれいで、やはりカルカッタは豊かになっていると感じさせられた。
 博物館から船着き場までずっと歩いてのどが渇いていたので、駅の構内の売店でジュースを飲むことにした。薄暗くて大きな駅の構内は、昔とあまり変わっていなかった。マザーは、1946年、この駅から出発してダージリンへ向かう電車の中でイエスとの出会いを体験した。駅舎自体は、そのころと全く同じ作りのはずだ。
 1946年9月10日、「神の愛の宣教者会」のシスターたちが「インスピレーションの日」と呼ぶその日に、ダージリンへ向かう列車の中でマザーに起こった出来事、最近の研究では、それは十字架上で渇くイエスとの出会いそのものだったと言われている。単に声を聞いたとか姿を見たとかいうことではなく、全身全霊で出会ってしまったのだ。その出会いは、ダマスコに向かう途中でパウロが体験したイエスとの出会いと重ねて理解すると分かりやすい。出会ってしまった以上生き方を根底から変えざるを得ない、それほどの衝撃をともなう出会いが、その日マザーに訪れたのだ。結果として、マザーは20年ものあいだ過ごしたロレット修道会を去り、スラム街で貧しい人々に仕える生活を始めた。
 メンバーたちにそのことを説明しながら、わたしは広い構内を歩いていった。15年前は、構内にたくさんの子どもたちが生活していた。物乞いをしたり、靴磨きをしたり、乗客たちの荷物を運んだりして生活している子どもたちだった。駅に着いて行き倒れになる人も多く、ブラザーたちが毎朝、駅の構内を巡回して行き倒れの人々を「死を待つ人の家」へと運んでいた。だが幸いに今は駅で生活する子どもたちも、行き倒れになるような人も、もう構内にいないようだった。床に座って電車を待つ人たちの姿はあちこちで見られたが、彼らから貧しさは感じられなかった。
 構内の一角に設けられた喫茶コーナーで、瓶入りのジュースを買って飲んだ。カルカッタでは、日本で買うと100円はするはずのコカ・コーラが、たった20円で売られている。同じ会社の同じ製品でも、人件費などの違いでこれだけ安く売ることができるのだ。味は日本で売られているものとまったく変わらない。日本で飲むことはほとんどないが、カルカッタの暑さの中ではコカ・コーラやその他の甘い炭酸飲料がとてもおいしい。
 コーラを1本飲んで疲れがだいぶとれたので、わたしたちは駅を出てハウラー橋の方に歩くことにした。もう夕暮れが近づいているので、のんびりしているわけにはいかない。

※写真の解説…1枚目、カルカッタのセントラル・ステーション、ハウラー駅。2枚目、ハウラー駅の構内。