マザー・テレサの言葉を読む(3)身近なカルカッタ


カルカッタはあなたたちの周りにもあります。
 愛に飢えた人は、あなたたちの国にもいるのです。」

 日本の学校で働いていたある神父さんがフィリピンでマザーと出会い「わたしも学校をやめてカルカッタで働きたい」と言いました。するとマザーは「あなたのカルカッタは日本の学校です」と答えて彼をなだめたそうです。このようにマザーは、先進国の人たちから「わたしもカルカッタに行ってあなたの手伝いがしたい」と言われるとよく「カルカッタはあなたたちの周りにもある」と答えていました。貧しい人たちは世界中にいるのだから、彼らに奉仕するためにわざわざカルカッタに来る必要はない、貧しい人がいる場所はどこでもカルカッタだというのです。
 「貧しさは日本にもある」とマザーは言います。ですが、日本のどこに貧しさがあるというのでしょう。学校に通っている子どもたちには家もあるし食べるものもあります。マザーはこう続けます。「日本には家がない人、食べる物がない人はあまりいないかもしれません。しかし、家はあっても家族の中に居場所がなく、食べ物があっても愛に飢えている人はいるでしょう。」マザーの言う貧しさとは、経済的貧困のことだけではなく、そのような愛の欠如のことを意味しているのです。カルカッタに来る時間と労力があれば、まず自分たちの周りにいる「愛に飢えた人」を探して、その人に奉仕しなさいとマザーは言います。
 わたしは若い人たちによく「もし機会があれば一度カルカッタに行ってみなさい」と勧めますが、それは貧しい人たちに奉仕するためというよりも、むしろ今もカルカッタで生きているマザー・テレサと出会ってもらうためです。
 わたしの人生はマザーと出会ったことで根底から変えられてしまいました。マザーと出会わなければ貧しい人たちと真剣に出会うことがなかったでしょうし、神を愛するということがどういうことかも分からなかったでしょう。もちろん人生を変えるような出会いは日本でもありうるでしょうが、探すのが難しいかもしれません。ですが、もしカルカッタに行ければ、そこには必ず大きな出会いが待っています。「人生を変えてしまうほどの力を持った出会いを、若い人たちにも体験してもらいたい」、わたしがカルカッタに行くことを勧めるのは、そんな思いからです。カルカッタに行くのは、何かを与えるためではなく、マザーとの出会いによって自分を変えてもらうためなのです。