バイブル・エッセイ(108)恵みあふれる聖マリア


 「そのころ、マリアは出かけて、急いで山里に向かい、ユダの町に行った。そして、ザカリアの家に入ってエリサベトに挨拶した。マリアの挨拶をエリサベトが聞いたとき、その胎内の子がおどった。エリサベトは聖霊に満たされて、声高らかに言った。
 「あなたは女の中で祝福された方です。胎内のお子さまも祝福されています。わたしの主のお母さまがわたしのところに来てくださるとは、どういうわけでしょう。あなたの挨拶のお声をわたしが耳にしたとき、胎内の子は喜んでおどりました。主がおっしゃったことは必ず実現すると信じた方は、なんと幸いでしょう。」(ルカ1:39-45)

 マリアがエリザベトの心に大きな喜びをもたらしたこの場面は、実はイエス・キリストの地上における最初の愛の業を描いています。なぜなら、このときマリアの体はまさにキリストの体であり、キリストの体はマリアの体だったからです。キリストはマリアにおいて、初めての妊娠で不安の中にある高齢のエリザベトを訪れ、慰めたのです。神の御心にすべてを委ね、文字通り霊的にも身体的にも神と完全に一致したマリアにおいて、キリストがエリザベトを愛したのです。
 エリザベトの心は喜びで溢れました。自らもヨハネを宿し、神に自分のすべてを委ねていたエリザベトには、マリアを通して自分に起こったことがはっきりとわかったからです。曇りのない心を持っていたエリザベトは、マリアの中にキリストの存在をはっきりと感じることができたのです。マリアの行動や言葉において神の愛を目で見、耳で聞いたエリザベトの喜びは、一体どれほどのものだったでしょうか。
 エリザベトの喜びから、一つの祈りが生まれました。わたしたちが日々唱えている「恵みあふれる聖マリア」の祈りです。この祈りは、マリアに現れた天使の挨拶の言葉とこの場面でのエリザベトの言葉を元にして作られました。この祈りを唱えるたびごとに、この場面でのエリザベトの喜びを思い出したいものです。祈りの中でマリアにおいてキリストと出会うときにだけ、わたしたちはこの祈りの本当の意味を味わうことができます。この祈りを唱えながらマリアにおいてキリストの愛に満たされるときにだけ、わたしたちはエリザベトと同じ喜びの中でキリストとしっかり結ばれるのです。 
 マリアと出会ったときにエリザベトの心を満たした喜びを今わたしたちの胸にしっかりと刻み、日々「恵みあふれる聖マリア」の祈りの中で思い起こしたいものです。この祈りの中で、エリザベトと共にマリアを通してキリストの愛に満たされることができますように。
※写真の解説…ライトアップされたカトリック六甲教会の鐘楼と樅の木。左上の白い輝きは月の光。