バイブル・エッセイ(118)貧しい人の幸せ


  エスは目を上げ弟子たちを見て言われた。「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである。今飢えている人々は、幸いである、/あなたがたは満たされる。今泣いている人々は、幸いである、/あなたがたは笑うようになる。人々に憎まれるとき、また、人の子のために追い出され、ののしられ、汚名を着せられるとき、あなたがたは幸いである。その日には、喜び踊りなさい。天には大きな報いがある。この人々の先祖も、預言者たちに同じことをしたのである。
  しかし、富んでいるあなたがたは、不幸である、/あなたがたはもう慰めを受けている。今満腹している人々、あなたがたは、不幸である、/あなたがたは飢えるようになる。今笑っている人々は、不幸である、/あなたがたは悲しみ泣くようになる。すべての人にほめられるとき、あなたがたは不幸である。この人々の先祖も、偽預言者たちに同じことをしたのである。」(ルカ6:20-26)

 貧しい人は幸せで、富んでいる人は不幸だとイエスは言います。これはどうも常識で考えると反対のことのようですが、先日「そういうこともあるのかな」と思わされる出来事がありました。
 釜ヶ崎で子どもたちと一緒に夜回りをしていたときのことです。わたしたちは、寒風が吹きすさぶ路上に作られた段ボールの家を一つ一つ訪ね、おじさんたちにおにぎりを手渡していきました。どのおじさんも、子どもからおにぎりを受け取ると「ありがとな」と言いながら本当にうれしそうにおにぎりを食べていました。中には、食べながら涙ぐんでいる人さえいました。
 その様子を見ながら、「おにぎり一つでこれだけ感謝し、喜べるこの人たちは、もしかすると幸せなのかもしれない」とわたしは思いました。小さなことにも感謝しながら謙虚に生きられる人、そんな人はきっと「神の国」に近い人でしょう。
 逆に、こんな話しも聞きました。そんな小さな幸せを大切にしながら生きているおじさんたちを、無差別に襲撃する人たちがいるというのです。中に人がいると分かっていながら、段ボールの家にいきなり金属バットで殴りかかったり、ガソリンをかけて火をつけたりする人たちまでいるそうです。彼らは「役に立たない人間には生きてる価値がない。殴るとスカッとする」と言って、少しも罪悪感を感じないでそういうことをするのです。
 彼らには、きっと帰る家も、食べるものも十分にあるでしょう。ですが、そういう考え方をする人はどれだけ不幸なんだろうかとわたしは思いました。彼らは自分に与えられたものに感謝できないばかりか、それでもまだ何か足りないと感じていらだち、そのいらだちを自分たちよりも弱い人たちにぶつけているのです。
 わたしたちはどうでしょうか。たくさんのものを与えられていながら、それを感謝しないで不満ばかり言ってしまうことがないでしょうか。もしわずかなものしか与えられなかったとしても、それを与えてくださったことを神様に心から感謝しながら喜んで生きていきたいものです。そのような生き方こそ、「神の国」につながる生き方でしょう。
※写真の解説…西成労働福祉センターの前にて。