バイブル・エッセイ(124)心から赦す


 そのときイエスは言われた。「天の国は次のようにたとえられる。ある王が、家来たちに貸した金の決済をしようとした。決済し始めたところ、一万タラントン借金している家来が、王の前に連れて来られた。しかし、返済できなかったので、主君はこの家来に、自分も妻も子も、また持ち物も全部売って返済するように命じた。家来はひれ伏し、『どうか待ってください。きっと全部お返しします』としきりに願った。その家来の主君は憐れに思って、彼を赦し、その借金を帳消しにしてやった。
 ところが、この家来は外に出て、自分に百デナリオンの借金をしている仲間に出会うと、捕まえて首を絞め、『借金を返せ』と言った。仲間はひれ伏して、『どうか待ってくれ。返すから』としきりに頼んだ。しかし、承知せず、その仲間を引っぱって行き、借金を返すまでと牢に入れた。仲間たちは、事の次第を見て非常に心を痛め、主君の前に出て事件を残らず告げた。そこで、主君はその家来を呼びつけて言った。『不届きな家来だ。お前が頼んだから、借金を全部帳消しにしてやったのだ。わたしがお前を憐れんでやったように、お前も自分の仲間を憐れんでやるべきではなかったか。』そして、主君は怒って、借金をすっかり返済するまでと、家来を牢役人に引き渡した。
 あなたがたの一人一人が、心から兄弟を赦さないなら、わたしの天の父もあなたがたに同じようになさるであろう。」(マタイ18:23-35)

 主人から巨額の借金を帳消しにしてもらったにもかかわらず、自分に借金がある仲間を牢に閉じ込めたという心の狭い家来の話しです。「なんてひどい家来なんだろう」と人ごとのように読み進めていくと、最後に思わぬことが書いてあります。「心から兄弟を赦さないなら」、わたしたちも同じようになるというのです。
 「心から赦す」とは、何も根に持たずに全てを赦すということです。もし誰かを赦したとしても、その人が10年前にしたこと、5年前に言ったことをいつまでも覚えていて根に持つならば、それは心から赦したことにはなりません。「あれもこれもすべて謝らないうちは決して赦さないぞ」という態度でいつまでもされたことを根に持つならば、それは借金をすっかり返済するまで仲間を赦さなかった家来と同じことです。その人と距離をおくことで、わたしたちはその人を目に見えない牢の中に閉じ込めているのです。
 過去にされたことを根に持って誰かと距離を置くとき、わたしたちは実は神様と距離を置くことになります。なぜなら、神様はその誰かを通してもわたしたちと交わりを結びたいと望んでおられるからです。ですから誰かを心から赦さないなら、わたしたちは自分で自分を神様から遠ざけ、牢に閉じ込めることにもなります。
 わたしたちは、知らず知らずのうちにこの恩知らずな家来のようにふるまっていないでしょうか。自分がどれだけ神様から赦されているかを思い起こして、相手を心の底から赦せる人になっていきたいものです。 
※写真の解説…教会の庭に咲いた水仙