バイブル・エッセイ(137)聖マティア使徒


 ペトロは兄弟たちの中に立って言った。百二十人ほどの人々が一つになっていた。兄弟たち、イエスを捕らえた者たちの手引きをしたあのユダについては、聖霊ダビデの口を通して預言しています。この聖書の言葉は、実現しなければならなかったのです。ユダはわたしたちの仲間の一人であり、同じ任務を割り当てられていました。詩編にはこう書いてあります。『その住まいは荒れ果てよ、/そこに住む者はいなくなれ。』/また、/『その務めは、ほかの人が引き受けるがよい。』そこで、主イエスがわたしたちと共に生活されていた間、つまり、ヨハネの洗礼のときから始まって、わたしたちを離れて天に上げられた日まで、いつも一緒にいた者の中からだれか一人が、わたしたちに加わって、主の復活の証人になるべきです。」
 そこで人々は、バルサバと呼ばれ、ユストともいうヨセフと、マティアの二人を立てて、次のように祈った。「すべての人の心をご存じである主よ、この二人のうちのどちらをお選びになったかを、お示しください。ユダが自分の行くべき所に行くために離れてしまった、使徒としてのこの任務を継がせるためです。」二人のことでくじを引くと、マティアに当たったので、この人が十一人の使徒の仲間に加えられることになった。(使徒言行録15:15-17,20-26)

 ユダの務めを引き継ぐため、ヨハネの洗礼のときからイエスと生活をともにしたヨセフとマティアの2人が候補に挙がったと書かれています。聖書に語られることはほとんどありませんが、彼らのように公生活の初めからイエスを支え続けた人たちが何十人もいたのです。彼らはイエスから自分に与えられたその目立たない役割に満足し、12使徒の指導に喜んで従って地道な活動を続けてきました。
 マティアは、聖書でこの箇所にしか出てこないところを見ると、きっとガリラヤ出身の素朴で不器用な人だったのでしょう。そんな彼がくじ引きによって、こともあろうに12使徒に加えられてしました。驚き戸惑うマティアの顔が目に浮かぶようです。しかし、マティアはその役割も喜んで引き受けました。それが神から与えられた役割だったからです。
 わたしたちは1人ひとり神から役割を与えられます。ある人たちには晴れがましい指導者の役割が、ある人たちには目立たない協力者としての役割が与ええられるでしょう。その役割のゆえに地上の栄光を受ける人もいます。しかし、その栄光は自分のためではありません。何をするにしてもすべては神のより大いなる栄光のためなのです。地上の栄光を受けなかった人も、やがて神の栄光のうちに大きな輝きを放つことでしょう。
 思いがけない役割を喜んで引き受けたマティアに倣ってわたしたちもそれぞれに神から与えられた役割を喜んで引き受け、神の栄光を地上に輝かせたいものです。
※写真の解説…新緑に彩られた六甲山、徳川道