バイブル・エッセイ(241)サウルとイエス


サウルとイエス
 エスが山に登って、これと思う人々を呼び寄せられると、彼らはそばに集まって来た。そこで、十二人を任命し、使徒と名付けられた。彼らを自分のそばに置くため、また、派遣して宣教させ、悪霊を追い出す権能を持たせるためであった。こうして十二人を任命された。シモンにはペトロという名を付けられた。ゼベダイの子ヤコブヤコブの兄弟ヨハネ、この二人にはボアネルゲス、すなわち、「雷の子ら」という名を付けられた。アンデレ、フィリポ、バルトロマイ、マタイ、トマス、アルファイの子ヤコブ、タダイ、熱心党のシモン、それに、イスカリオテのユダ。このユダがイエスを裏切ったのである。(マルコ3:13-19)
 先日、福音宣教を考える集いで、あるシスターが教会での協働の秘訣を話してくださいました。性格や考え方はもとより人種、文化まで違ったさまざまな人たちが協力して働くためには、その違いを神様から与えられた役割の違いとして受け止めることが大切。福音宣教という共通の使命に向かって、それぞれが与えられた役割を尊重しながら助けあうことで大きな力が生まれてくるというのです。
 今日の第一朗読で読まれたサウルの姿(サムエル上 24:3-24:21)とイエスの姿は、このような協働について考える上でヒントになると思います。自分より優れた部下であるダビデを追まわし、命を狙ったサウルの態度は、協働に失敗するリーダーの典型的なケースでしょう。神がサウルに与えた使命は、王としてイスラエルの民を治め、守ることでした。本来ならダビデの実力を認め、その使命のために生かすべきだったのです。しかし、サウルが守ろうとしたのは、自分の王としての権力や人気だけでした。そのため、ダビデを取り立てるのではなく、逆に命を狙うという行動に出たのです。
 12使徒を選んで宣教の権能を与えたイエスの態度は、この対極にあるものです。弟子たちにはたくさんの弱点がありましたが、それを責めるのではなく、逆に彼らが持っているよさを生かして共に働くことをイエスは選びました。福音宣教という大いなる使命のために違いを越え、それぞれのよさを生かし合いながら協力することをイエスは弟子たちに望んだのです。その結果、イエスの宣教活動は、活力に満ちて世界のすみずみにまで広がってゆきました。
 私たちの間にある違いは、神から与えられたものであり、私たちの豊かさです。否定するのではなく、神からの賜物として認め合うとき、教会に大きな力が生まれます。福音宣教という大いなる使命のため、互いを否定しあって滅びる道ではなく、認め合って共に生きる道を進んでいきましょう。
※写真の解説…埼玉県長瀞市、宝登山ロウバイ