マニラ日記(2)マニラ到着Ⅱ


アテネオ・デ・マニラ大学の構内。
 翌朝、目が覚めるともう8時近くになっていた。朝食の時間が8時までなので慌てて身づくろいして降りていくと、途中で神学生たちから呼び止められた。昔、ノバリチェスで一緒に修練をした仲間たちだ。自分たちは今から朝食なので、一緒に食べていかないかという。入っていくと、昨日会ったジョーダンのほかに、オジー、トニー、ボンなど懐かしい顔ぶれがそろっていた。みな10年分歳をとってはいたが、基本的には昔と変わっていない。トニーはその間に博士号を取り、オジー助祭に叙階されたとのことだった。
 もう自分では覚えていないようなことも含めてわたしが修練時代にしでかしたさまざまなこと、同期の他の会員たちが今どうしているかなど、さまざまな話題で盛り上がった。当時、修練院にはわたしも含めて26人の修練者がいたが、今では修練者の数は9人にまで減ってしまったという話も聞いた。召命の減少は、どの国でも深刻な問題らしい。たくさんいた修練時代の仲間も、これまでに半分が会を去ったとのことだった。
 昔の仲間たちとの楽しい朝食を終えたあと、わたしは部屋に戻ってもう一度眠りについた。次に気が付いたのは昼前だった。わたしは力を振り絞って買い物に行くことにした。日本からは最小限の物しか運べなかったので、いろいろ買い足さなければいけないものがあったからだ。『地球の歩き方』を調べ、高架鉄道で2駅のところにあるクバオのショッピングモールまで出かけた。
 途中、駅の周辺などでたくさんの物乞いの人たち姿を見かけた。フィリピンの国花であるサンパギータの首飾りを売っている子どもたちの姿もあった。わたしがフィリピンに最初に来た20年前にも、同じようにたくさんの子どもたちが路上でサンパギータを売っていたものだった。
 フィリピンで最大手のショッピング・モールのチェーン店、SM(Shoe Mart)で一通りの買い物をして、4時ころ神学院に戻ってきた。また眠ったが、今度は夕食の時間に起きることができた。今日はまだ神学院の共同体と一緒の食事だった。第三修練者たちも一人一人と集まってきて、明日の晩までには全員が揃うという。明日は奇しくも9月5日、マザー・テレサの記念日だ。きっとマザーもこの第三修練のために祈ってくれることだろう。

Loyola House of Studiesの主聖堂。アキノ家の寄進によって建てられた。

第三修練院の廊下から見たLoyola House of Studies。