マニラ日記(26)サーパン・パライ再訪Ⅱ〜懐かしい人々


懐かしい人々
 バスを降りると、歩いて10分ほどでエリアGと呼ばれる地域に到着する。わたしが昔通っていた地域だ。
 サーパン・パライは、マルコス大統領時代、政府がマニラ市内の路上で生活していた人々を山の中に強制的に再定住させたことに起源を持つスラム街だ。今ではエリアAからGまでに区分された大きな街に成長し、数万の人々が生活している。しかし、もともと人間が住むのに適さない山の斜面を開拓して作った街なので、雨が降ればすぐに道はぬかるむし低い地域は床上浸水してしまうという劣悪な環境だ。電気、水道は一応引かれているが、洗濯機、冷蔵庫などを持てるほど豊かな人たちはほんの一握りでしかない。
 12年前にフィリピンで第二修練をしていた頃、わたしは毎週日曜日、他の修練者たちと一緒にこの地域の教会でミサに与っていた。ミサの後、スラム街の家々を回って病気の人たちを見舞ったり、簡単な要理教育をしたりするのがここでのわたしたちの司牧活動だった。普段は修練院から一歩も出ないで生活していたので、週に1度のこの活動はわたしにとって本当に大きな慰めだった。
 ネンの後についていくと、次々に懐かしい人たちが姿を現した。最初に訪れた教会では、当時からカテキスタとして活躍していた女性が小学校に上がる前の子どもたちを集めて教室をしていた。教会の建物は昨年、花火が原因で焼失したと聞いていたが、ほぼ昔と同じ姿に戻っているようだった。教会から、かつて聖歌隊や青年会のメンバーとして活躍していた人たちの家を次々に周っていった。
 どの家族も、ジュースやお菓子を出してわたしたちを大歓迎してくれた。スラム街の人たちは、どんなに貧しい生活をしていても来客をもてなすためにはお金を惜しまない。わたしは、一軒一軒の家を持って行った聖水で祝福していった。何人かの婦人たちは、「まさかあの修練者が神父になって戻ってくるとは」という思いからから、ストラをつけたわたしの姿を見て涙ぐんでいるようだった。
※写真の解説…サーパン・パライの風景。緑色のTシャツの女性が、案内してくれたネン。