忘れられたスラム街〜スモーキー・マウンテンからの報告4


(2)炭焼き地域(ウリガン)
 NGOや教会が軒を連ねる道をさらに進み、突き当りを右に曲がるとしだいに辺りが煙に包まれていく。その道の突き当りの広場に、数十の炭焼き小屋が軒を連ねる炭焼き場があるからだ。
 この広場から海岸線まで広がる住宅地帯は、炭を意味するタガログ語「ウリン」にちなんでウリガンと呼ばれている。この地域に入ってまず驚くのは、鼻を突くような煙の臭いと、炭で真っ黒に汚れた子どもたちの姿だろう。煙の臭いがきついのは、燃やしている材木のほとんどが家の廃材なので、塗料やゴムなどが一緒に燃えるからだ。子どもたちが真っ黒なのは、ほとんどの子どもが炭焼きの手伝いをしているからだろう。
 この地域の人々の半数が炭焼きで、残りの半数がゴミ拾いで生活している。炭焼きの収入は炭焼き小屋の規模によるようだが、大袋に一杯の炭が約300ペソで売れるという。材料費などを差し引いて、1日の1日の収入はだいたい100ペソくらいのようだ。ゴミ拾いの収入とほとんど変わらない。
(3)ゴミ搬出地域(バージ)
 ゴミ搬出地域は、国道から続く大通りを突き当りまで進んだところにある。この大通りを通って、1日に数百台のトラックがケソン市中から集められたゴミをここまで運んでくるのだ。
 今回子どもたちの案内で中まで入り込んで初めて分かったことだが、トラックが運んできたゴミは、一度ゴミ捨て場に投棄されたあと重機で巨大な平底船(バージ)に載せられる。平底船は入れ替わり立ち代わりやってきて、沖合にあるゴミ捨て場までゴミを運んでいく。こうして、この場所にかつてのようなゴミの山ができるのを防いでいるのだ。
 ゴミを平底船へ積み込みこむ作業のあいだが、スカベンジャーたちの活躍する時だ。いつも100人以上のスカベンジャー達が、先を競うようにしてゴミ拾いをしている。中には、国道の角で待っていて、曲がるためにスピードを落としたトラックの荷台からゴミを掠める若いスカベンジャー達もいる。まさに生きるための戦いだ。ゴミの山がないだけで、行われていることはかつてと全く同じと言っていいだろう。
 ゴミ捨て場はすさまじい悪臭がするし、日光を遮るものが何もないので日中の暑さも厳しいが、それでも人々は生きるために黙々とゴミを拾い続けている。親の後についてゴミを拾って歩く子どもたちの姿もたびたび見かけた。
※写真の解説…ウリガン地区の炭焼き風景。