バイブル・エッセイ(296)当たりくじ


当たりくじ
「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う。」(マタイ13:44-46)
 イエスは「神の国」を宝が埋められた畑や、価値に気づかれないままの真珠に譬えます。もし本当の価値に気づけば、誰も放っておくことはないだろうというのです。せっかく神様があたえて下さったのに、与えられたものの本当の価値に気づかないまま損をする、そういうことがわたしたちには多いように思います。
 もしわたしたちが宝くじの当選番号を覚えていて、たまたまゴミ捨て場の古新聞の中にその番号の宝くじを見つけたとすればどうするでしょう。なんとしてでもその宝くじを手に入れて、銀行に持っていき、換金するに違いありません。そのままゴミ収集車に乗せてしまう人は誰もいないでしょう。
 しかし、実際には、わたしたちはそれと似たようなことをしています。わたしたち一人ひとりを、宝くじと考えたらどうでしょうか。わたしたちは自分のくじがはずれだ、価値がないと思って捨ててしまいそうになることがあります。しかし、神様の当選番号表にはすべての人の名前が書かれてあり、わたしたち全員が当たりくじなのです。神様のもとに持って行って換金しさえすれば、わたしたちの人生は豊かに祝福されるはずなのです。
 まずわたしたち自身が当たりくじであることに気づき、自分の人生を神様の手に渡したいと思います。わたしたちがすべきことは、ただそれだけなのです。そして、豊かな祝福をいただいたなら、まだ自分が当たりくじであることに気づいていないすべての人に「あなたも当たりくじを持っているんだ」というよい知らせを伝えて歩きましょう。その人たちすべてが訪れて、当選金を受け取ったとしても、決して破産することがないくらい「天の国」の恵みの宝庫は豊かに満たされています。
 せっかくの当たりくじを、換金しないまま捨ててしまうのは本当に惜しいことです。それ以上におしいのは、人生をあきらめ、捨ててしまうことです。自分の本当の価値に気づき、神様の手に自分を委ねることで本当の自分にしていただきたいと思います。
※写真の解説…フィリピンのスラム街、スモーキー・マウンテンの子どもたち。