バイブル・エッセイ(242)神の国は近づいた


神の国は近づいた
 ヨハネが捕らえられた後、イエスガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。二人はすぐに網を捨てて従った。また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。(マルコ1:14-20)
 「神の国」と訳されるギリシア語「ホ・バシレイア・トゥ・テウー」は、直訳すると神の支配を意味するそうです。神の御旨が何よりも大切にされ、神の望む秩序が実現している場所、それこそが「神の国」なのです。
 そうだとすれば、時が満ち、イエスが神の御旨のままに福音を宣教し始めたその瞬間、「神の国」はイエスのうちに実現しました。エスが「神の国は近づいた」と言った時、実は、それを聞いた人たちの目の前に「神の国」があったのです。
 「神の国」はすぐに拡張を始めます。ペトロとアンデレがイエスの言葉を聞き入れ、全てを捨ててイエスの後に従ったとき、2人の心の中にも「神の国」が実現しました。2人は財産や家族への愛着の支配を退けて、神の支配の下に入ったからです。このようにして、イエスが出会った人々の心に、そして互いに愛し合い、ゆるし合い、助け合う弟子たちの間で「神の国」はどんどん成長していきました。
 「神の国」は、今、わたしたちの心の中にも始まっています。イエスの言葉を心に刻み、心の奥深くから呼びかける神の言葉に祈りの中で耳を傾けるとき、そこに神の支配があるからです。「悔い改めなさい」というイエスの言葉に従ってわたしたちの心が整えられ、行動が秩序付けられていくとき、わたしたちの中に「神の国」が実現していきます。
 何よりも大切なのは、地上の被造物に支配されないということです。もし神の御旨を感じ取ったなら、わたしたちはペトロやアンデレと共に、すべてを捨ててイエスのあとについていかなければなりません。憎しみも怒りも、不安や恐れ、財産や地位への執着も、すべてを脇において御旨に忠実に行動する限り、わたしたちの心に「神の国」の実現、救いの実現があります。
 イエスの御言葉を聞いて受け入れた今、わたしたちの心の中に「神の国」が始まっています。「神の国」は今ここに、わたしたちの心に、わたしたちの間にあるのです。この事実を力強く宣言できるよう、心の中に溢れる「神の国」の喜び、安らぎ、力を今ここでしっかりと感じましょう。
※写真の解説…釣り人達。箱根、芦ノ湖にて。