バイブル・エッセイ(251)病人を運ぶ信仰


病人を運ぶ信仰
 数日後、イエスが再びカファルナウムに来られると、家におられることが知れ渡り、大勢の人が集まったので、戸口の辺りまですきまもないほどになった。イエスが御言葉を語っておられると、四人の男が中風の人を運んで来た。しかし、群衆に阻まれて、イエスのもとに連れて行くことができなかったので、イエスがおられる辺りの屋根をはがして穴をあけ、病人の寝ている床をつり降ろした。イエスはその人たちの信仰を見て、中風の人に、「子よ、あなたの罪は赦される」と言われた。(マルコ2:1-5)
 イエスは病気で苦しむ人本人の信仰を見て奇跡をおこなうことが多いのですが、この場面では連れてきた4人の男性たちの信仰を見て奇跡をおこなったとあります。彼らの中にイエスが見た信仰とは、一体どんな信仰だったのでしょう。
 この4人の男性と中風の人の関係はよく分からないのですが、仮に病気のお父さんを連れてきた4人の兄弟と想像してみましょう。イエスという預言者が現れて次々と病人を癒しているという噂を聞いた兄弟は、長年病気で苦しんでいる父親をイエスに会わせたいと思って、父親を床板に載せて近隣の村からやってきました。しかしようやくカファルナウムに入り、イエスのいる家の前まで来ると、たくさんの人が中にいてとても入れそうにありません。
 ここで普通ならあきらめて外で待つとところですが、父親の苦しみを一刻も早く取り除いてあげたい、今すぐにでもイエスに会わせてあげたいという一心の兄弟は、知恵を合わせて全く思いがけない方法を思いつきます。天井から父親を床板ごと吊り下ろそうというのです。そのために、ある者は頑丈なロープをとりに家へ飛んで帰り、ある者は友だちから梯子を借りに駆け出していきます。こうして、今日読まれた聖書の場面が実現しました。
 兄弟たちのイエスへの無条件の信頼と、父への深い愛によって一つになった心の中に、イエスはたぐいまれな信仰を見ました。イエスが病気の父親に向かって「あなたは本当によい息子たちを持った。これほどまでに愛されたあなたの罪はゆるされる」と語りかける様子が目に浮かぶようです。
 これと似たようなことは、現代でも起こりえます。例えば今、放射能汚染の不安に苦しむ福島の子どもたちを、夏休みに神戸に招きたいというプロジェクトが神戸地区で進んでいます。始めは実現不可能かに見えたことでしたが、福島の子どもたちを、せめてわずかの間でも放射能のない所で思い切り遊ばせてあげたい、子どもたちの喜ぶ顔を見たいという一心の人々が知恵と力を合わせることで、何とか実現に向かって道筋が見えてきました。実現のあかつきには、神戸で過ごすひと時を通して、きっとイエスが子どもたちの心を癒してくださることでしょう。
 福島の子どもたちだけではありません。津波の被災者の皆さんや、世界中で災害や戦争などに苦しむたくさんの人々、さらに、わたしたちの身の回りにいる病気で寝たきりの人、孤独に苦しむ独居老人など、わたしたちがイエスのもとに運ぶべき方々はたくさんいると思います。愛によって心を一つに合わせ、知恵と力を出し合って、その人たちをイエスのもとに運んでいきましょう。わたしたちの信仰を見て、イエスは必ず癒しの業を行ってくださるはずです。
※写真の解説…開花したばかりの白梅と、教会の鐘楼。カトリック六甲教会にて。