バイブル・エッセイ(256)兄弟に腹を立てる者は


兄弟に腹を立てる者は
 あなたがたも聞いているとおり、昔の人は『殺すな。人を殺した者は裁きを受ける』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。兄弟に腹を立てる者はだれでも裁きを受ける。兄弟に『ばか』と言う者は、最高法院に引き渡され、『愚か者』と言う者は、火の地獄に投げ込まれる。だから、あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。あなたを訴える人と一緒に道を行く場合、途中で早く和解しなさい。さもないと、その人はあなたを裁判官に引き渡し、裁判官は下役に引き渡し、あなたは牢に投げ込まれるにちがいない。はっきり言っておく。最後の一クァドランスを返すまで、決してそこから出ることはできない。」(マタイ5:22-26)
 家族や友人に腹を立てただけでも裁かれ、悪口を言えば地獄に落とされるとはずいぶんと厳しい言葉です。なぜイエス様はそこまでおっしゃるのでしよう。悪口を言う人の心の動きに手掛かりがあるように思います。
 誰かに腹を立てるのにはさまざまな理由があると思いますが、例えば相手が自分の欠点を鋭く指摘したときは特に腹が立つものです。自分でもうすうすは分かっているのだけれども、絶対に認めたくないような欠点を指摘されると「そんなことはない、自分は間違っていない」と主張せずにいられなくなるのです。やっきになって相手を罵るのは、間違っているのは相手であって自分ではないと自分自身に言い聞かせ、また周りの人々にも言い聞かせるためではないでしょうか。
 相手が自分の思い通りに動いてくれないとき、邪魔をするときなどにも腹が立ちますが、いずれの場合も、自分は正しいという判断が前提になっています。結局のところ、わたしたちは自分こそが正しいという不確かな思い込みに基づいて腹を立て、自分の正しさを証明するために相手を罵っているのです。
 そうだとすれば、イエス様のおっしゃることはもっともだと言わざるを得ません。なぜなら、自分自身の過ちを認め、神の前に遜ることこそが救いへの唯一の道だからです。誰かに腹を立て、罵って否定する人は、自分で救いへの道を閉ざしているのです。その人は、自分で自分の傲慢を最高法院に証言し、自分で自分を怒りや憎しみの炎が燃える地獄に投げ込んでいるようなものなのです。
 多くの場合、人を罵った後には、自分のことを棚に上げて相手を傷つけてしまったという後ろめたさが残るものです。誰かの言動に腹が立ったら、罵る前に「自分はそんなに正しいのだろうか」と自問してみるのがいいでしょう。
※写真の解説…六甲山系、荒地山の難所「岩梯子」。