バイブル・エッセイ(452)ふがいない自分を受け入れる


「ふがいない自分を受け入れる」
「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」(ヨハネ15:9-17)
 「父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた」とイエスは言います。わたしたち人間がどんなに弱く、不完全で、愚かな存在であったとしても、イエスはわたしたちをありのままに愛して下さっている。そのことを忘れないようにしたいと思います。
 神様がわたしたちを愛してくれていると頭で分かっていても、わたしたちはつい、自分で自分にいら立ち、自分を否定してしまいがちです。例えば、わたし自身は最近、こんな体験がありました。明日は大仕事だという日に緊張してなかなか眠れず、体調が不十分なままにその日を迎えてしまったときのことです。寝不足による頭痛を感じながら目覚めたわたしは、「わたしはなんてふがいないんだろう」と思って自分に腹が立ち、もう駄目だと思い込みそうになりました。ですが気持ちを落ち着けて、神様はそのような不完全なわたしも愛して下さっている。不完全なわたしを使って何か大きな業をしようとしておられるということを思い出し、自分に腹を立てるのをやめ、ありのままの自分で全力を尽くそうと気持ちを切り替えたのです。すると、不思議なことに頭痛も消え、力が湧き上がって来て、すべてをうまくすることができました。ふがいない自分を受け入れ、自分に腹を立てるのをやめさえすれば、わたしたちは思っている以上のことができるものなのです。
 自分に対していら立っているときには、周りの人にやさしくすることもできません。かえって、自分の不完全さを相手のせいにして、「あなたのせいでこんなことになったんだ」と当たり散らしたりしてしまいがちです。それは、自分の不完全さを受け入れられていないからに他なりません。神様がこんなふがいないわたしでも愛して下さっているということに気づき、その愛を受け入れられれば、周りの人に当たり散らすこともなくなるでしょう。かえって、心を愛で満たされて、周りの人に優しくしてあげることができるに違いありません。ふがいない自分を受け入れることさえできれば、わたしたちは互いに愛し合うことができるのです。
 大切なのは、イエスの愛の中にとどまり続けることだと思います。どんなときでも、イエスがわたしたちを愛しているという事実を素直に受け入れ、イエスの愛の中にとどまり続けるのです。「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい」とイエスは言っています。エスは、わたしたちがどうしようもない罪人であったときに、ありのままのわたしたちを受け入れ、愛して下さいました。そうであるなら、わたしたちも、どうしようもない罪人である自分を受け入れ、愛するべきではないでしょうか。ふがいない自分に腹を立てつづけていては、できることさえできなくなってしまいます。自分を生かすことも、隣人を生かすこともできなくなってしまうのです。イエスの愛を祈りの中でしっかりと感じ、受け止められるよう祈りましょう。
★明日(5月11日)19:00〜、テレビ朝日にて放送されるバラエティー番組『ぶっちゃけ寺』の中で、キリスト教が特集されます。番組のタイトルは「お坊さんとキリスト教が意気投合スペシャル」。わたしも出演しておりますので、よかったらご覧ください。
番組HP⇒http://www.tv-asahi.co.jp/bucchake/