バイブル・エッセイ(766)ゆるし、つないでゆく使命


ゆるし、つないでゆく使命
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい。言うことを聞き入れたら、兄弟を得たことになる。聞き入れなければ、ほかに一人か二人、一緒に連れて行きなさい。すべてのことが、二人または三人の証人の口によって確定されるようになるためである。それでも聞き入れなければ、教会に申し出なさい。教会の言うことも聞き入れないなら、その人を異邦人か徴税人と同様に見なしなさい。はっきり言っておく。あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる。また、はっきり言っておくが、どんな願い事であれ、あなたがたのうち二人が地上で心を一つにして求めるなら、わたしの天の父はそれをかなえてくださる。二人または三人がわたしの名によって集まるところには、わたしもその中にいるのである。」(マタイ18:15-20)
「兄弟があなたに対して罪を犯したなら、行って二人だけのところで忠告しなさい」とイエスは言います。言いたいことがあるなら、陰で悪口を言うのではなく、誠意をもって相手に直接話しなさいということです。陰で悪口を言ったところで、何のいいこともないということをイエスはよく知っておられたのでしょう。状況を少しでもよくしたいならば、相手を正しい道に立ち返らせたいならば、直接、相手と話す以外にないのです。
「あなたがたが地上でつなぐことは、天上でもつながれ、あなたがたが地上で解くことは、天上でも解かれる」という部分を読むと、教会が罪びとを裁く権能を与えられたかのようにも聞こえます。ですが、前の部分をよく読めば、そうではないことがわかるでしょう。エスは、まず一対一で相手と話し合うように。それでもだめなら、第三者を入れてよく話し合うようにと勧めているのです。相手と和解するために、相手を罪から救い出すために、あらゆる手段を尽くしなさいということです。最後には、「異邦人か徴税人と同様にみなしなさい」と言っていますが、それはすなわち、彼らをまだ救いを知らない人たちとみなし、全力を挙げて救いなさいということです。教会には、徹底的につなぐ使命、この地上のすべての人を救う使命が与えられているのです。
 実際、陰で悪口を言っても、なんの解決にもなりません。直接、相手に言う勇気がないとき、さまざまな理由からそれが難しいときなど、わたしたちはつい友だちと一緒に喫茶店や居酒屋などに行き、悪口に花を咲かせてしまいがちです。ストレスを発散するためにはそれも役立つかもしれませんが、そんなことをしても問題の解決にはならないのも事実です。万が一、陰で悪口を言っていることが相手に伝われば、状況はますます悪くなるでしょう。状況をよい方向に変えたいならば、誠意をもって、直接相手と話し合う以外にないのです。
 相手と直接話し、相手を正しい道に立ち返らせるためには、ゆるしが大前提になります。相手と直接話したとしても、感情的になって相手をなじるだけでは、かえって問題がこじれてしまうからです。相手をゆるし、相手がなぜそんなことをしたのかを理解する。そして、その根源的な理由を取り除く。それ以外に相手を救う方法はないのです。
 でも、そんなに簡単にゆるせないという場合もあるでしょう。そんな場合は、神様とよく相談することだと思います。相手をゆるせない気持ちを神様にぶつけ、どうしたらいいかとよく相談するのです。無理にゆるすことを強要することはありません。わたしたちが心に深い傷を負っているなら、時間をかけてその傷を癒し、相手をゆるすことができるようにしてくださるでしょう。ゆるしは人間の力を越えたもの。「ゆるすことができますように」と祈りながら、ゆるせるときが来るのを待つのも一つの道です。ゆるしの使命、つないでゆく使命を果たすために必要な力を、神様に願い続けましょう。