やぎぃの日記(138)大船渡から4


3月30日(金)大船渡から4

 今日は一日中、大船渡教会で木材の片づけをして過ごした。津波で海水をかぶったために弱った木々や、その周辺の木々が、伐採されたまま数か月も教会の庭先に山積みになっていたのだ。
 山積みになった木を、一本一本取り出してはのこぎり、鉈、チェーンソーなどで細かく解体していった。切られた枝は、信者さんがストーブの薪として使うという。とても根気のいる作業だったが、枝を払い、幹にのこぎりをいれるうちに、木の命というものを実感できたように思う。
 作業が終わった後、夕方のミーティングまで大船渡の町を散策した。今、大船渡では町のいたるところから重機の音が響いている。「夢市場」や「屋台村」などプレハブで作られた市場、飲食店街もあり、復興に向けた確かな動きが感じられた。
 歩きながらふと、もうしばらくここにいたいなという気がした。毎日がとても充実しているし、ここでボランティアとして働いていると、自分が「生きている」ということを強く実感できる。何か月もここにいられたらどんなにすばらしいだろうと思わずにいられない。
 だが、それは言ってみれば「ボランティア病」のようなものだろう。昔インドに行ったときも同じように感じ、そのときは結局、一年あちらに住み着いてしまった。だが、ボランティアはいつまでも続けられるものではない。最後は、自分の居場所を見つけ、そこで自分に与えられた使命を果たさなければならない。マザーはそのことを、「今度は自分の国でカルカッタを見つけなさい」という言葉で表現していた。あなたを必要としている人はあなたの国にもいるし、命の温もりや人と触れ合う喜びはあなたの国でも感じられるということだ。今回も、家に帰って「自分の町の大船渡」を見つけることが大切なのだろう。
 当面、わたしの「カルカッタ」であり「大船渡」である場所は六甲教会だ。明日からは、また神戸で自分に与えられた使命を精いっぱい生きることにしよう。
※写真の解説…1枚目、大船渡の市街地で。2枚目、大船渡教会で。